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【地理】パナマ運河とスエズ運河を比較する

学習Q&A 地理
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二つの主要な運河

運河とは人工的に造られた水路のことです。運河は古代から建設されていましたが、現代でも重要な輸送手段として欠かすことができない存在です。

とりわけパナマ運河とスエズ運河は、世界経済に大きな影響を与える運河です。これらの運河が世界の物流の要衝となっていて、国際貿易で重要な役割を果たしています。

これらの運河がどこにあるのか、世界地図で確認しておきましょう。

パナマ運河は太平洋ー大西洋を結び、南北アメリカ大陸の中間地点を通過することできます。また、スエズ運河は地中海ー紅海(北インド洋)を結び、ヨーロッパ・アジア間の航路を担っています。

スエズ運河について

管理する国・機関エジプト・スエズ運河庁
着工年 / 完成年1859年 / 1869年
全長約193km
方式水平式運河
どこの海を結んでいるか地中海と北インド洋(紅海)
通航料例)大型コンテナ船 … 約60万~80万ドル
例)ばら積み貨物船 … 約20万~40万ドル
例)オイルタンカー … 約35万~70万ドル
通航時間約15時間
(状況によって待機時間も発生します)
年間通航船数約20,000隻
1日あたりの通航船舶数約49隻
(新運河の完成により増加の見込み)
※データは、年や状況によって変動します。

スエズ運河によって、大幅に短縮されています。(ヨーロッパ・アジア間の場合)

※短縮日数については状況によって異なります。参考にしてください。

なぜ、スエズ運河は水平なのですか?

運河内を含めて地中海と紅海(インド洋側)に水位差がないからです。

歴史

古代からこの地に運河を通す構想はあり、実際に古代には小規模な運河があったといわれています。時代が過ぎ、18世紀末にはナポレオンも本格的な運河としての構想を持っていました。しかし実現するのは19世紀後半になってからです。

エジプト王朝と親交のあったフランス人のレセップス1859年に着工します。多くの犠牲者を出ながらも、難工事の末に10年で完成させます。当初はエジプト・フランスの共同保有でしたが、後にレセップスの会社は倒産したため、経営権は当時帝国主義政策を進めていたイギリスの手に渡ります。

1882年にはエジプトはイギリスの事実上の保護国となります。また1922年に条件付きで独立を果たしたものの、事実上イギリスの影響を受け続けます。

保護国とは … 保護国は形としては独立を保ちつつも、外交権などは宗主国(支配国)に握られている状態です。それに比べて植民地の場合は、被支配国には完全に主権がありません。

1952年エジプト革命が勃発し政変が起きて、翌年にはイギリス軍は撤退します。

その後の政権はアスワン=ハイダムの建設に絡んで、外国からの建設資金の調達が思うようにいかなかったことに対抗するために、運河の国有化を一方的に宣言をします。

これに反発したイギリス・フランス・イスラエルとの間に1956年第二次中東戦争(「スエズ戦争」「スエズ動乱」)が起きます。この間運河は一時的に閉鎖されました。エジプトが国際世論を味方につけたことで停戦を取り付け、イギリス側は軍を撤退し、運河を国有化することに成功します。

比較的安定していた中東地域でしたが、イスラエルとアラブ諸国との緊張状態からエジプトも加わり、第三次中東戦争1967年)が起きます。イスラエル軍によって運河の一部が占領されましたが、わずか6日間でイスラエル側の圧勝します。この戦争で運河が使用できなくなります。1975年に攻撃によって沈没した軍艦が取り除かれるまで、8年間にわたって閉鎖状態が続きました。

再開後、船舶の大型化に対するために、1975年1980年にかけて拡幅工事を行います。このプロジェクトには日本企業も関わりました。ちなみに運河を通過することが可能な船舶サイズを「スエズマックス」といいます。

2015年新スエズ運河が開通して、一部が複線化されます。これにより運河の大半で船が双方向に航行できるようになり、船舶量も倍増したり、待機時間や通過時間が短縮されました。

2021年に大型コンテナ船(日本企業が保有・台湾企業が運用)が座礁して、船の航行が不能になります。この影響で6日間にわたって運河は停止します。

現状と課題

事故によるリスクもありますが、地政学的上、スエズ運河は歴史を通じて国家間の対立に振り回されてきました。2023年パレスチナ・イスラエル戦争が始まると、これに関連して紅海周辺でイスラエルに関係する船に対する攻撃が見られました。このために、しばらくの間運河の利用を控える動きが見られました。

このように紅海周辺で危機がある度に、世界的な物流の混乱が起き、喜望峰ルートへ回避するなどの処置を取らざるを得なくなるので、輸送コストも跳ね上がるというリスクを抱えています。

パナマ運河について

管理する国・機関パナマ・運河庁
着工年 / 完成年1904年 / 1914年
全長約82km
方式閘門式運河(こうもんしきうんが)
どこの海を結んでいるか太平洋と大西洋
通航料1トンあたり1ドル39セント
その他にサーチャージ
通航時間約9~10時間
(状況によって待機時間も発生します)
年間通航船舶数約13,000~14,000隻
1日あたりの通航船舶数約36隻
※データは、年や状況によって変動します。

パナマ運河によって、大幅に短縮されています。(太平洋・大西洋を結ぶ場合)

※短縮日数については状況によって異なります。参考にしてください。

閘門式運河とは … 水位差があるために船の航行が困難なときに設けられる施設です。閘門を設置することによって、異なる水位を船が移動していきます。

閘門式を使って船が進むイメージです。(例:水位の低い所から高い所へ進む場合)

なぜ、パナマ運河は閘門式なのですか?

運河の中央部に海抜約26mのガトゥン湖があるからです。さらに太平洋と大西洋の水位も異なります。これらの海抜が異なる所を航行するために閘門を設けています。

パナマ運河の断面図です。

パナマ運河は運河中央部にあるガトゥン湖を頂点として、船が山を越えて行くような構造になっていることが分かります。

歴史

スペインの植民地から独立した後、隣国コロンビアに併合されました。

1881年にスエズ運河を成功させたフランス人のレセップスによって運河の建設が始まりましたが、難工事により思ったように進まずに事業は失敗に終わります。

この頃、急激に帝国主義化を進めていたアメリカがコロンビアと交渉して運河の建設権を得ようとしますが、コロンビアに拒否されます。これに対して1903年にアメリカはコロンビア政府に介入して強制的にパナマを独立させます。

パナマ独立後はアメリカ主導で運河の建設が進められます。1904年に着工し10年後に完成します。完成後の運河に関する権利はアメリカに握られ、パナマ自体も事実上支配をしたことによって、パナマ国民は次第に不満を募らせます。

第二次世界大戦後に反米感情が高まったものの、相変わらず運河の支配権を握り続けました。

1968年にパナマで軍事クーデターが勃発し政変が起こります。これを機に返還要求の声が高まった結果、1977年にアメリカ政府は1999年に返還することを約束します。

その後アメリカはパナマ侵攻1989年)を行い、麻薬組織とのつながりが強かった実質的支配者のノリエガ将軍を拘束します。このように政権への介入もありましたが、全体としてはパナマの軍事的支配は困難な情勢になります。

約束通り1999年12月31日に、アメリカは運河地帯の権利を手放して軍も撤退します。これにより、アメリカの支配から本当の意味で独立を果たしました。

2016年には新たな閘門が設けられ、より大型船舶の航行が可能となりました。このような新たに通過可能になったサイズを「新パナマックス(ネオパナマックス)」といいます。

現状と課題

近年パナマ運河では水不足が問題になりつつあります。運河の閘門システムを維持するためには、大量の水が必要です。1隻の大型船が運河を通過するのに約20万トンの水が流れます。このための水源は運河の最高地点にある人工湖であるガトゥン湖です。

しかし近年周辺の降水量の減少により、水量の減少によって水位が低下しました。2023年には、雨季になっても降雨が見られず、一時的に運河の通航数や規模を調整せざるを得なくなりました。

2024年にはトランプ大統領が、高額な通行料金に対して不満を表明します。さらに管理権に関してもアメリカへの返還も主張しています。この理由として、現在運河を香港企業(中国の影響もあるかも?)が運営していることも関係しているかもしれません。今のところ具体的な動きは無いので今後の動向に注目です。

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