文化の日とは
文化の日とは、日本の「国民の祝日」の一つです。毎年11月3日と固定されています。1948年(昭和23年)に施行された「国民の祝日に関する法律」(祝日法)で定められました。
国民の祝日とは … 「国民の祝日に関する法律」(「祝日法」とも呼ばれます)に定められている祝日のことです。現在(2025年9月現在)合計で16日あります。祝日には移動祝日と固定された祝日があります。文化の日は後者になります。
文化の日は、「自由と平和を愛し、文化をすすめる(薦める)」ことが目的ですが、この名称だけでは何のための日なのか少し漠然とします。この日は日本国憲法の基本原則である平和を求めるために文化を発展させようという趣旨があるようです。
文化の日と関連して、この日は文化勲章の親授式が皇居で行われています。さらに11月1日~7日は「教育・文化週間」となっていて、教育や文化(科学・芸術など)への関心と理解を深めるために、全国各地で関連する様々なイベントや行事が行われます。
文化勲章とは … 学問・科学・芸術など、文化の発展に顕著な功績を挙げた人に授与される勲章です。皇居宮殿で天皇陛下から授与されます。毎年5名ほどが授与されます。
この記事ではどのような経緯でこの日が制定されたのか、背景を見ていきましょう。
戦前はどんな日だったか?
11月3日が文化の日になるまでは、様々な経緯がありました。歴史を見てみましょう。
明治時代:「天長節」
11月3日は、明治時代は「天長節」(てんちょうせつ)という祝日でした。1873年(明治6年)に定められました。
天長節とは天皇の誕生日を祝う儀式のことで、現在の「天皇誕生日」のことです。「天長」とは、中国の唐の皇帝の誕生日を祝う際に使われた言葉が由来となっています。
中国の春秋戦国時代の思想家の「天長地久」(てんちょうちきゅう)という言葉が由来となっていて、「天地が永遠に変わらないように、物事がいつまでも変わらずに続くこと」という意味があります。
日本では奈良時代から行われていましたが、明治時代に再び行われるようになりました。
天長節は天皇誕生日のことですから、時の天皇によって誕生日が変わります。明治天皇在位中は11月3日でしたが、大正天皇の即位に伴い、8月31日が新たな天長節となりました。こうして11月3日は平日に戻りました。
大正時代~昭和時代戦前まで:「明治節」
11月3日が天長節ではなくなったかわりに、明治天皇が崩御された日である7月30日が「明治天皇祭(先帝祭)」という祝祭日となりました。しかし1926年(大正15年/昭和元年)に大正天皇が崩御されたことによって、7月30日も祝祭日ではなくなりました。
このままでは国民から深く敬愛されていた明治天皇に関する祝祭日はなくなってしまいます。そのため、明治天皇をたたえたり明治時代を回顧したりしたいという国民的な運動が起こり、1927年(昭和2年)に、「明治節」として正式に祝日として定められました。
1937年(昭和12年)に日中戦争が始まると、明治節は戦意高揚としての要素が濃くなっていきます。この日を利用して愛国心を高めて、戦争のために国民を一致させる日となりました。各家庭では国旗を掲げたり、学校・官庁などでは祝賀式を行ったりしました。その後、会社・工場などでも奉祝式や奉拝式を行うようになりました。このようにこの日が単なる祝日以上の意味を持つようになっていったのです。
こうして戦時中も含めた昭和初期では、「新年」「紀元節」「天長節」のともに「四大節」の一つとして重要な日となりました。
戦争終了後の1948年(昭和23年)にGHQの命令によって廃止されました。
GHQとは … 連合国軍最高司令官総司令部のことです。連合国軍となっていましたが、実質はアメリカが主導権を強く握っていました。最高司令官マッカーサー(途中で交代)をトップとして、戦後の日本を占領して、日本政府を統治しました。様々な改革によって、日本の民主化を進めていきました。1945年~1952年の間設置されました。新憲法の草案作成でも主導的な立場を持っていました。
日本国憲法の公布がきっかけで制定された
戦後GHQの指導の下で新憲法が作成されました。そして1946年(昭和21年)11月3日に日本国憲法として公布されました。
どうして11月3日が新憲法の公布日に選ばれたのでしょうか?
大日本帝国憲法は「神武天皇即位日」の日(2月11日)を公布日にしたことにならって、日本国憲法は「明治節」を選んだそうです。
GHQは、11月3日を公布日とすることを受け入れました。しかし、11月3日を「憲法記念日」とするという案に関しては反対しました。戦前のような天皇と憲法との強い結びつきをなくしたいと考えたからです。この結果、GHQの意向に沿って、「憲法記念日」は施行日である5月3日となりました。(1947年(昭和22年)5月3日に公布されました)
しかし日本政府としては、11月3日を何らかの形で残しておきたいという考えがありました。
そこで日本国憲法が公布された11月3日は、戦争を放棄することを基本原理とした憲法が公布された日であることから、戦争などではなく、自由と平和を求めるために文化をすすめるという意味や願いを込めて、11月3日を「文化の日」と定めました。
「文化の日」ということで、名称では憲法とは関連が無いように見えますが、日本国憲法が平和を重視していることから、文化に注目する日となったのは、ふさわしいことといえます。


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