アフリカの国々の国境線を見てみよう
それではまず、アフリカの地図を見てみましょう。
他の大陸の国々の国境線と比べると、直線で引かれている部分が多いことに気付きます。

一般的に国境線は、以下の2種類に大きく分けることができます。
アフリカの国境線は自然に沿って引かれた国境線もありますが、他の大陸と比べて、人為的に引かれた国境線が目立ちます。このような国境線になった背景について考えましょう。
現在の国境線になった背景を考える
アフリカの国境線について考えるためには、アフリカの歴史について知る必要があります。
奴隷貿易時代
15世紀以降、ヨーロッパの国々が南北アメリカ大陸を植民地にしていった結果、農園などの労働力を確保するために、アフリカから多くの人々が奴隷として連れて行かれました。1200万人以上の人々が物のように扱われて売買されました。これを奴隷貿易(大西洋奴隷貿易)といいます。
19世紀に多くの国々で、奴隷貿易や奴隷制度を禁止することによって衰えていきました。しかし、多くの男性が連れて行かれたことが、アフリカの発展の足を引っ張ることになります。
植民地時代
奴隷貿易から解放されたアフリカは、19世紀になると別の困難を抱えるようになります。
19世紀頃からヨーロッパの列強(れっきょう)が、アフリカ大陸に進出し、ほとんどの土地を植民地としました。このように外国に進出して、植民地を広げていって圧力によって国力を強めていくことを帝国主義といいます。
列強とは … 世界に大きな影響力を持つ国のことで、帝国主義の下、外国に植民地を求めて進出していきました。時代によって異なりますが、イギリス・フランス・ドイツ・ロシア・アメリカ・イタリアがあります。さらには後に日本もその仲間に加わります。
列強各国は、アフリカでの主権を主張して対立しました。その結果、1884~1885年の「ベルリン会議」によって、アフリカ分割について話し合われました。列強間でアフリカ分割に関するいくつかの原則(先に占有した国がその土地を主張できる権利など)が決まります。この会議には当事者であるアフリカ側は招待されていませんでした。このようにして、列強側だけの勝手な都合によって分割が進んでいくことになります。
このとき、アフリカの現地の民族や文化の繋がりなどは考慮されませんでした。このことが、現在にまで残るアフリカ問題の原因にもなっています。
どのように列強によって植民地にされたか、地図を見てみましょう。

フランス・イギリスを中心に、植民地化されていることが分かります。ドイツに関しては、第一世界大戦の敗北によって植民地を手放したため、統治国が変遷していること分かります。
植民地時代を通して、独立を保っていたのは、エチオピアやリベリアだけの一部でした。さらにエジプトは、1922年には早くも独立を果たしました。しかし、それ以外の国々に関しては、第二次世界大戦後まで待つことになります。
第二次世界大戦後に次々と独立を果たす
第二次世界大戦後、アフリカ各地で独立運動が活発になります。
なぜ、第二次世界大戦後、独立する国が増えてきたのでしょうか?
19世紀の終わり頃から、パン・アフリカ主義(パン・アフリカニズム)が広まっていました。この流れは20世紀に入るとさらに広まっていきます。このような中で、アフリカの人々に自分たちで国を持つという考え方が熟成されていきました。
パン・アフリカ主義とは … アフリカ系住民による、植民地からの自立解放や統一を訴えた考え方
ヨーロッパ各国は第二次世界大戦後の混乱の中で、まずは自国を再建することに必死でした。以前のように植民地に対して、ヒト・カネを振り分ける余裕がなくなったのです。このような背景も、アフリカの独立の機運を盛り上げました。
さらに、列強に真っ向から対立する国も現れます。1954年、アルジェリアはフランスとの間で、独立をめぐってアルジェリア戦争が勃発します。8年後の1962年に独立を果たすことになりますが、そのよう出来事も、アフリカの国々にとって独立への追い風となりました。
以上のことより、1950年代にリビア(1951年)、スーダン(1956年)、モロッコ(1956年)、チュニジア(1956年)、ガーナ(1957年)、ギニア(1958年)が順次独立を果たしていきます。
さらに、1960年にはその動きは頂点に達します。その1年間に、17か国が次々とフランス・イギリスなどから独立を果たしました。後にこの年は「アフリカの年」と呼ばれるようになって、独立の象徴的な年となりました。
ちなみに、1960年に独立した17か国は以下の通りです。
ガボン・カメルーン・コートジボワール・コンゴ・コンゴ共和国・セネガル・ソマリア・チャド・中央アフリカ・トーゴ・ニジェール・ナイジェリア・ブルキナファソ・ベナン・マダガスカル・マリ・モーリタニア
このように全体的に見ると、あくまでも「アフリカの年」は、アフリカ各国の独立が続いていた中での一年にすぎないといえます。
しかし、アフリカ各国が独立して、自立の道を歩んでいるとしても、植民地時代の国境線はそのまま引き継がれて、今日まで至っています。
冷戦時代
第二次世界大戦後、世界は冷戦(冷たい戦争)状態になりました。アメリカの資本主義陣営とソ連の社会主義陣営によるにらみ合いが続きました。アフリカは冷戦時代の中で、どのように存在感を示したでしょうか?
アフリカ諸国は、東西どちらの側にも立たない新しい勢力を形成していきます。このような形は冷戦時代には、「第三世界」や「第三勢力」と呼ばれました。緊張状態にある20世紀において、独自の存在感を示したのです。
第三世界とは … 資本主義諸国(西側)の「第一世界」、社会主義諸国(東側)の「第二世界」と区別して、そのどちらにも属さない国々を「第三世界」と呼びました。ソ連崩壊(1991年)により、現在ではほとんど使われなくなっています。
独立後も紛争が相次ぐ
列強が植民地にしたとき、地域の民族や文化の事情を顧みずに国境線が引かれました。直線的な国境線が多いことが、そのことを示しています。
これにより、価値観・成り立ちが異なる民族同士が無理やり一緒にされたために、独立後も、国の中で民族間のわだかまりは残りました。そのことが、新たな対立を生む結果になったのです。
さらに冷戦時代は、東西陣営の政情により、先進国から様々な援助によって支えられてきた国もありました。しかし冷戦終結後は、そのような支援も終了した結果、経済が悪化して国内状況が不安定になったことも、関係があるかもしれません。
もちろん、アフリカでの紛争には、これ以外にも様々な要素が関係ありますが。植民地であったという歴史的な背景が、現在でも大きな影響を与えているのは言うまでもありません。

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