本州四国連絡橋の概要について
本州四国連絡橋は、本州と四国を結ぶ道路や鉄道などの橋の総称です。本四連絡橋と省略することもあります。これらの橋は全部で3つのルートから成り立っています。
なぜ建設されたのか?
本州四国連絡橋については明治時代から構想がありました。1889年(明治22年)に鉄道の開通式で香川県議会議員である大久保諶之丞が瀬戸大橋の構想を訴えました。当時の技術では架けることは困難であったために実現することは難しかったのです。これ以降完成までに1世紀の期間を要することとなりました。橋で本州と陸続きになることは、四国の人々にとって長い間の悲願だったのです。
大久保諶之丞(おおくぼじんのじょう)とは … 明治時代の政治家で、瀬戸大橋をはじめ、四国新道・香川用水を提唱したことで知られています。
1955年(昭和30年)5月11日、国鉄所有の宇高連絡船「紫雲丸」の事故が起こります。紫雲丸が他の船と衝突して沈没しました。この事故により、修学旅行中の児童などを中心に168名の死者を出す大惨事となりました。この事故は濃霧の中で起こりました。しかしこの事故に至るまで幾度も事故が起こっていました。
事故後、安全基準が厳しくなったため、季節によっては濃霧が発生するたびに運航が中止されて、営業に支障が出るようになりました。こうした輸送上の問題を解決するために橋建設の機運が盛り上がっていったのです。
着工までの経緯は?
1959年(昭和34年)… 当時の建設省が本格調査を開始します。
1969年(昭和44年)までに、A~Eの5ルートが計画されましたが、その内、A[神戸・鳴門ルート]・D[児島・坂出ルート]・E[尾道・今治ルート]の3ルートが決定されました。しかし、B[宇野・高松ルート]・C[日比・高松ルート]の2ルートについては費用面や技術面から事業が断念されました。
当初候補に上がっていた5ルート

1970年(昭和45年)… 本州四国連絡橋公団が設立されて、本格的に事業がスタートしました。
1973年(昭和48年)10月… 政府によって3ルートの同時着工が決定されました。しかし起工式直前に勃発した中東戦争によって引き起こされた第一次オイルショックによって、着工延期が余儀なくされ、事実上の事業凍結となりました。
1975年(昭和50年)… 数年ぶりに部分的に計画凍結が解除されることとなりました。
1977年(昭和52年)… 児島・坂出ルートを優先して建設することが決定されます。
1978年(昭和53年)… 児島・坂出ルートが着工されました。
本州四国連絡橋公団とは … 本州・四国を結ぶ連絡橋に関係する道路・鉄道の建設や管理をしていました。2005年(平成17年)に解散して、新たに設立された「本州四国連絡高速道路株式会社」に大半の業務が引き継がれました。
橋が開通したことによるメリットは?
本州・四国が陸続きになったことによって、当然のことですが移動時間が大幅に短縮されました。そのことによってどんな効果があったでしょうか?
通勤・通学の時間短縮 … 例えば、倉敷~坂出間の自動車利用では、従来フェリー経由で120分かかっていましたが、橋開通後は40分に短縮されました。また岡山~坂出間の鉄道利用では、従来フェリー経由で130分かかっていましたが、橋開通後は40分に短縮されました。
「国土交通省 昭和63年度 運輸白書」より
物流面の活性化 … 自動車貨物流動量は開通前の昭和59年と比べて、平成28年には約2.5倍に増加しました。例えば、新鮮な野菜をその日の内に大阪や東京などの遠くの大都市にも届けることが可能になりました。
「国土交通省 四国地方整備局 HP」より
観光面の活性化 … 橋の開通前と比べて国内観光客はもちろんのこと、近年では国外観光客も増加しています。アメリカ主要紙ニューヨーク・タイムズの「2019年に行くべき52ヶ所」の第7位に「瀬戸内の島々」が選ばれました。また尾道市、今治市の瀬戸内しまなみ海道に関係した所では、外国人観光客が大幅に増加しています。
「国土交通省 四国地方整備局 HP」より
橋が開通したことによるフェリーへの影響は?
本州四国連絡橋ができるまでは、瀬戸内海ではフェリーが重要な交通手段でした。特に宇野港と高松港を結ぶ「宇高航路」(うたかこうろ・うこうこうろ)は瀬戸大橋の開通までは大きな役割を担っていました。
1910年(明治43年)に国鉄の前身である鉄道院によって航路が開設されました。その後民間会社(四国フェリー・津国汽船・宇高国道フェリー)も参入して、本州・四国を結ぶ連絡船として多くの人・車両・貨物を運びました。橋開通後の1991年(平成3年)に国鉄から引き継がれたJRの連絡船は廃止されました。しかし残る民間フェリーについては減便されていったものの引き続き運航されました。橋の方が利便性が良かったはずですが、それでも価格の面で有利であったために支持され続けたのです。
このように客足は鈍くなってきたものの橋との共存を図ってきたフェリーでしたが、2009年(平成21年)にその関係に激変が生じます。それは政府によるETC利用で高速道路の休日料金上限1000円の経済対策でした。これを受けて津国汽船は実施前に休止を判断しました。
この対策によって瀬戸大橋の自動車利用が大幅に増加し、価格面で優位性を保っていたフェリーは打撃を受けたのです。2012年(平成24年)には宇高国道フェリーも休止されます。
かつては3社あった民間フェリーも残り1社だけになっていました。2019年についに最後まで残っていた四国急行フェリーが休止しました。これによって宇高航路109年の歴史を終えたのです。
神戸・鳴門ルート
本州側・兵庫県神戸市と四国側・徳島県鳴門市を結ぶ全長89kmの道路です。全区間は有料高速道路です。高速道路の名称は「神戸淡路鳴門自動車道」です。
このルートは間で淡路島を通るために、島を挟むようにして「明石海峡大橋」と「大鳴門橋」が架けられています。
明石海峡大橋について … 全長3,911mの橋で、完成時は世界最長の吊り橋でした。建設中の1995年(平成7年)には阪神・淡路大震災にみまわれ、断層のずれが生じたために当初計画よりも全長が伸びることになりましたが、1998年に無事完成しました。
1976年(昭和51年)に着工、1987年(昭和62年)に部分開通し、1998年(平成10年)に全線開通しました。

児島・坂出ルート
本州側・岡山県倉敷市と四国側・香川県坂出市を結ぶ全長約13kmの道路・鉄道です。道路部分の全区間は有料高速道路です。高速道路の名称は「瀬戸中央自動車道」、鉄道部分は「JR本四備讃線(通称:瀬戸大橋線)」です。
ルート全体の総称として通称「瀬戸大橋」と呼ばれています。本州側から櫃石島・岩黒島・羽佐島・与島・三つ子島の5つの島々を渡りながら橋や高架橋で繋げています。
全体は二層になっていて、上層が道路で下層が鉄道という二層構造になっています。3ルートの中で唯一鉄道が通っています。
1978年(昭和53年)に着工し、1988年(昭和63年)に全線開通しました。3ルートの内一番最初に開通しました。

尾道・今治ルート
本州側・広島県尾道市と四国側・愛媛県今治市を結ぶ全長約60kmの道路です。全区間は有料高速道路です。高速道路の名称は「西瀬戸自動車道」です。このルートには歩行者・自転車・原付専用道が併設されていることが他のルートとは異なる大きな特徴です。自転車が通行できるのでサイクリングロードとしても世界的にも有名です。
ルート全体として通称「瀬戸内しまなみ海道」と呼ばれています(「しまなみ海道」とだけ呼ばれることもあります)。本州側から向島・因島・生口島・大三島・伯方島・大島・馬島の7つの島々を渡りながら橋や高架橋で繋げています。
1975年(昭和50年)に着工し、1999年(平成11年)に全線開通しました。



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