「建国記念の日」とは
「建国記念の日」とは毎年2月11日の定められている国民の祝日です。
この日は「日本の建国をしのび、国を愛する心を養う日」と規定されています。
この日の名称について、よく勘違いがありますが、「建国記念日」とは呼びません。あえて「の」を間に入れることによって「建国記念の日」としています。日本の場合、史実的に正確に成立した日と断定できる訳ではないことから、建国した日を記念するのではなく、建国されたこと自体を記念するという意味で、このような名称になっています。
では、各国の「建国記念日」に相当する記念日はいつでしょうか?
| 国 名 | 日付 | 名 称 | 内 容 |
|---|---|---|---|
| アメリカ合衆国 | 7月4日 | 独立記念日 | 1776年/独立宣言に署名した日 |
| イタリア | 6月2日 | 共和国記念日 | 1946年/王制から共和制に移行した |
| インド | 8月15日 | 独立記念日 | 1947年/イギリスから独立した日 |
| ウクライナ | 8月24日 | 独立記念日 | 1991年/ソ連崩壊で独立した日 |
| 韓国 | 10月3日 | 開天節 | 前2333年/神話の古朝鮮王国を建国した日 |
| 中華人民共和国 | 10月1日 | 国慶節 | 1949年/毛沢東が中国建国を宣言した日 |
| 中華民国(台湾) | 1月1日 | 開国記念日 | 1912年/孫文が中華民国建国を宣言した日 |
| ドイツ | 10月3日 | ドイツ統一の日 | 1990年/東西ドイツが統一された日 |
| フランス | 7月14日 | フランス革命記念日 | 1789年/フランス革命が始まった日 |
| ロシア | 6月12日 | 主権宣言記念日 | 1990年/ソ連からの独立を宣言した日 |
各国を見てみると、歴史的な出来事から、建国記念日としている国が多いことが分かります。しかし興味深いことに韓国の「開天節」は古代の神話に基づいた日を記念日にしています。この点は日本の建国記念の日と共通しているといえます。
戦前は「紀元節」だった
紀元節は神武天皇(じんむてんのう)の即位した日のことです。では神武天皇とはどのような人物なのでしょうか?
神武天皇とは、「古事記」「日本書紀」に登場する人物です。
神武天皇は天照大御神(あまてらすおおみかみ)から五代目にあたります。天照大御神は神話上の神様で、八百万(やおよろず)の神々の中で最も尊い神で、太陽の神、皇室の祖先神、巫女の三つの性格を併せ持っています。
神武天皇は実在したかどうかは全く実証されていません。神話上の人物であるとする説が有力です。実在した天皇に関しては、10代崇神天皇以降や、15代応神天皇以降などの説が混在しています。しかし皇室との血縁関係として確実なのは第26代継体天皇以降とされています。
伝説によると、神武天皇は日向(現在の宮崎県高原町)で生まれ、45歳の時に、争いが無い平和な国を実現を目指して、兵を率いて東に進出するために旅立ちます。その道中、瀬戸内海を中心として各地で数々の争いや困難に遭いながらも、最終的に大和地方(現在の奈良県)に到達して、なんとかして国を平定することに成功します。そこで橿原宮(かしはらのみや/現在の奈良県橿原市)に宮を造営し、初代天皇として即位します。
日本書紀によると、もともと神武天皇の即位日は旧暦の紀元前660年1月1日でした。日本書紀では「辛酉(かのととり)年春正月、庚辰(かのえたつ)朔(ついたち)」と記載されていて、これが旧暦の1月1日にあたるわけです。
しかし1872年(明治五年)に、日本でも太陽暦(つまり新暦)が採用されました。これによって旧暦1月1日は、新暦1月29日に相当することになりました。その結果、1873年(明治六年)に明治新政府は1月29日を「紀元節」と定めました。
しかし1月29日はまさに旧正月の時期とかぶってしまいます。なぜならその日がもともとの正月を祝っていた日だったからです。新暦になったといっても、当時はテレビやネットなどもなく、国民に即時に新暦に関する情報が広まるわけではありません。このままだと紀元節と旧正月が一緒くたになってしまいます。そこで紀元節と旧正月が混同されるとの誤解を避けるために、1874年(明治七年)から文献を調査し直して、2月11日に定め直しました。
建国記念の日と同じように、戦前の祝日から現在の祝日へ変わった日について解説しています。

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戦後は「紀元節」がなくなる
戦後GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が日本を実質占領下に置きます。そこでGHQは、祝祭日を見直すことになりました。
なぜ祝祭日を見直すことになったのかな?
ここでまず、「祝日」と「祭日」に分けて考えましょう。「祝日」は国が定めた休日のことで、「祭日」は皇室の祭祀や宗教的な儀礼のための日でした。
戦前の祝日と祭日は、どちらも皇室に関係したものが多く、国民は盛大なお祝いをしていました。こうした日を通じて天皇を中心にして国家神道を推進してきたのです。
こうしたこともあって、GHQは新しい民主国家建設に向けて、戦前までに行われていた祝祭日も見直すことになりました。(ちなみに現在、祭日は法律上存在しません。)
GHQは紀元節のような祝祭日が残ることによって、戦前のように天皇を中心として、日本人の団結心が高まることを恐れたのです。そのために1947年(昭和二十二年)、四方節、紀元節、天長節、明治節などの国家にとって重要な皇室関連の祝祭日を廃止します。
1948年(昭和二十三年)に「国民に祝日に関する法律」が制定されたことにより、それらの祝祭日は廃止されたり改称されたりしました。紀元節については廃止されました。
このようにして、GHQは日本国内から天皇色を薄めようとしました。
「建国記念の日」として復活する
1951年(昭和二十六年)以降、紀元節復活に向けた動きが出てきます。多くの人々も復活を願っていました。
1957年(昭和三十二年)には、自民党議員を中心として「建国記念日」制定に関する法案が提出されます。しかし野党である日本社会党による反対があって、最終的に法案は廃案となりました。
その後9年間にわたって法案が幾度も提出されますが、成立することはありませんでした。その間1963年(昭和三十八年)には名称に配慮することや、野党の妥協もあって、1966年(昭和四十一年)に、ついに「建国記念の日」を定める法案が成立しました。こうして翌年から適用されるようになって現在に至っています。ちなみに「建国記念の日」と同じタイミングで、「敬老の日(9月15日)」「体育の日(10月10日)」も制定されました。
法案成立にさいしては冒頭でふれたように、「記念日」ではなく、あえて「記念の日」とすることによって、建国された日付を記念することではなく、建国されたこと自体の記念であることを強調されました。
また、日付をいつにするかに関してもさまざまな意見が出されました。例えば、日本社会党は憲法が施行された5月3日、民社党は聖徳太子が十七条の憲法を定めたとされる4月3日、公明党はサンフランシスコ講和条約が発効された4月28日などです。
しかし結局は、記念日の名称や理念などを野党側にも配慮して、お互いの歩み寄りにより、戦前の紀元節だった日を祝日とすることに落ち着きました。

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