樺太とは?
「樺太(からふと)」は、北海道の北に位置している細長い島です。東西方向では最大で約160kmしかないのに対して、南北方向で約948kmもあります。
「樺太」はロシア語では「サハリン」と呼びます。サハリンは満州語に由来しています。

樺太の面積は北海道と同程度です。北海道の面積は約78,000km2、樺太は76,400km2です。世界の島で面積の大きい順でいうと、北海道が21番目、樺太は22番目になります。
人口は約45万8000人です。同程度の面積の北海道(約500万人)比べても、人口密度(1km2あたり5.25人)はかなり低いことが分かります。
全体的に山がちな地形で、3つの山脈が連なっています。平地は北部に集まっています。樺太とユーラシア大陸の間には「間宮海峡」が横たわっています。
日本では「間宮海峡」と呼びますが、ロシアでは「タタール海峡」と呼びます。
気候は亜寒帯(亜寒帯湿潤気候または亜寒帯モンスーン気候)に属します。
亜寒帯湿潤気候とは … 亜寒帯モンスーン気候とも呼びます。亜寒帯ですが、年間を通して平均的に雨や雪が降ります。夏は比較的暖かく、冬は非常に寒くなります。そのために年間や一日での気温差つまり寒暖差が大きくなります。
樺太の南端近くに位置する「ユジノサハリンスク(平年値)」の天気データです。
| 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 雨量 (mm) | 58 | 41 | 52 | 57 | 66 | 64 | 91 | 108 | 102 | 101 | 74 | 70 |
| 気温 (℃) | -11.5 | -11.2 | -5.2 | 1.8 | 7.5 | 12.0 | 15.9 | 17.3 | 13.5 | 6.8 | -1.2 | -8.5 |
冬は氷点下になるのに比べて、夏は比較的過ごしやすいことが分かります。
どこの国?
それでは、樺太はどこの国に属しているでしょうか?
結論からいうと、現在、南樺太についてはロシア連邦が実効支配しています。なぜ「実効」という言葉が入るのかは、この後で解説します。
日本政府の見解としては、北樺太はロシア領として認めていますが、南樺太は帰属未確定地としています。つまり南樺太に関しては、どこの国にも属していないということで、ロシアによる領有を認めていないという立場を取っています。
南樺太とは … 樺太の北緯50度より南側の地域です。 (上の地図を参照)
このように、ロシアと日本では、樺太についての取り扱いが真っ向から対立しています。
なぜこのような状況になったのでしょうか?それは、樺太をめぐってロシアは日本との間には複雑な歴史があるからです。ではこれから樺太を中心とした歴史を振り返ってみましょう。
樺太をめぐる日本とロシアの歴史
江戸時代が進んでいくにつれて、「蝦夷地(現:北海道)」は、松前藩による関与が深まっていきました。18世紀後半になると、今度は通商を求めてロシアがこの地に近づいて来ます。このさいにロシア政府は、蝦夷地は日本として認識していました。江戸幕府は蝦夷地を守るために調査を行います。このように蝦夷地に関しては、日本であるとの意識が固まっていきました。
一方で、樺太に関しては両国の人々が暮らしていましたが、特定の国に属することはありませんでした。次第に多くの日本人とロシア人が流入して来るようになりました。
そのような中で、日本はペリー来航によって開国を迎えます。
黒船来航による日本の開国については、以下の記事をご覧ください。

日露和親条約【1855年】
開国後の1855年に、伊豆の下田で「日露和親条約(日魯通好条約)」が結ばれました。この条約により、それまであいまいだった千島列島などの国境線がはっきりと設定されました。
一方で樺太に関しては、これまでと同じように、両国民が入り混じって住み続ける雑居地であるとみなされました。

樺太千島交換条約【1875年】
両国民が混在していた樺太でしたが、当時は新しい近代国家の建設中で、日本の国力に限界があったことや、北海道の開拓を最優先することを考えて、樺太を放棄することが政府内で提案されました。もちろんただで放棄するわけにはいかず、樺太を放棄するかわりに、千島列島全域を日本の領土にすることで話が進みました。
1875年(明治八年)8月に、ロシアのサンクトペテルブルクで「樺太千島交換条約」が結ばれました。これにより、樺太はロシア領、千島列島全島は日本領とすることとしました。

ポーツマス条約【1905年】
1904年(明治三十七年)2月に日露戦争が勃発しました。日本はイギリスなどの資金援助もあって、年が明けると、有名な「日本海海戦」などによって勝利をおさめます。しかし日本はこれ以上の戦争継続は国力的に困難な状況の上、ロシアも国内で混乱があって継続が困難とのことから、戦争終結へと話が進みます。
1905年(明治三十八年)9月、アメリカ大統領セオドア・ルーズベルトの仲介によって、「ポーツマス条約」が結ばれます。この条約の中には樺太に関する扱いが含まれていました。これにより、日本はロシアから南樺太(北緯50度より以南)を割譲されました。
ポーツマスとは … アメリカ北東部のニューハンプシャー州にある小さな都市です。大西洋に面している港町です。

第二次世界大戦後【1945年~】
1945年(昭和二十年)8月9日、突如日ソ中立条約を破って、対日参戦のためにソ連が南樺太に侵攻開始します。この作戦は北海道侵攻も視野に入れたものでした。これは8月15日に日本がポツダム宣言の受諾を決定した後も続きます。8月末までには樺太全域がソ連の支配地になりました。
当時南樺太には、約40万人以上の日本人が居住していましたが、ソ連侵攻により、北海道などへの緊急疎開が行われました。多くの人が避難に成功しましたが、中にはソ連軍に攻撃されて亡くなった人々もいます。これ以降ソ連による実効支配が行われるようになりました。
1951年(昭和二十六年)9月、日本は連合国の48ヶ国と「サンフランシスコ平和条約」を結びます。このさい、日本は南樺太に関するいっさいの権利を放棄しました。
しかし実は、この条約を結んだ48ヶ国にはソ連は含まれていませんでした。ソ連は条約調印を拒否したからです。そのためにソ連はそもそもこの条約に署名していないので、それに対して発生する権利を主張することはできません。
1991年(平成三年)のソ連崩壊後、樺太もロシアに引き継がれて、ロシアによる実効支配が続いています。樺太全域はロシアのサハリン州に属しています。(サハリン州は樺太島と千島列島を管轄しています)
このようないきさつもあり、現在日本政府の立場としては、南樺太と千島列島全島については、日本にもロシアにも属していない、帰属未確定地としています。

1945年の終戦までの日本の動きについては、以下の記事をご覧ください。


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