山手線とは
山手線はJR東日本(東日本旅客鉄道)が運営する路線のことで、東京の主要路線の一つです。山手線の正しい読み方は「やまのてせん」です。
開業時は「やまのてせん」でしたが、戦後は「やまてせん」の呼び方も浸透していました。1971年(昭和46年)に当時の国鉄が「やまのてせん」という呼び方に正式に決定しました。これ以降「やまのてせん」が定着していきます。
山手線には30駅あり、都心・副都心などの東京中心部を環状で結んでいます。駅名には「JY01~JY30」のナンバーも付けられています。山手線で最古の駅は品川駅(1872年/明治五年)で、最新の駅は高輪ゲートウェイ駅(2020年/令和二年)です。東京駅は意外と遅く25番目に(1914年/大正三年)開業しました。
全長は約35kmで、最短64分、最長70分で1周します。環状線なので、時計回り(右回り)で走る電車を「外周り」、反時計回り(左回り)で走る電車を「内回り」と呼んでいます。道路の左側通行と同じです。

外回り・内回りの見分け方
東京都心の中心(千代田区)に皇居がありますが、皇居がない方を走っているのが外回り、皇居がある方を走っているのが内回りになります。またホーム上での案内アナウンスは外回りは男性、内回りは女性となっています。
かつては10両編成でしたが、1991年(平成三年)に6ドア車両が当時主力だった205系に1両分追加され、11両編成になりました。ちなみに6ドア車両は2011年を最後に廃止されていますが、6ドア車両は4ドア車両に置き換えられて、そのまま11両編成となっています。6ドア車両が廃止された理由としては、ホームドアに対応させることが構造上困難だったことや以前と比べて混雑率の低下したことがあげられます。
山手線の一周は運用上の扱い
実は正式に山手線となっている部分は田端駅~品川駅だけで、東海道本線の支線扱いになっています。下の画像を見てもらうと、田端駅~東京駅は東北本線、東京駅~品川駅は東海道本線となっています。つまり山手線は正式には3つの路線が集まってできているのです。これらはあくまでも正式な路線名ですが、そのままで営業するとややこしいので、運用上は一周で山手線としています。
支線とは … 本線から枝分かれした路線のことです。例えば、首都圏では南武線・武蔵野線・横浜線・横須賀線・相模線なども東海道本線の支線に含まれます。

ここからは運用上の名称としての「山手線」として話を進めていきます。
日本初の鉄道については以下の記事をご覧ください。

山手線の変遷
現在は環状運転をしていますが、最初からそうだった訳ではありません。徐々に現在の形に近づいていきました。
1872年【明治五年】
日本最初の鉄道が新橋駅~横浜駅間に開業しました。東海道線として開通しましたが、結果として後の新橋駅~品川駅が現在の山手線に該当する区間となります。
開業した駅 … 品川駅・初代新橋駅(現在の汐留地区にあった)

1883年【明治十六年】
明治十六年に、日本鉄道東北線の上野駅~熊谷駅間に開業しました。この内上野駅~田端駅(田端駅ははこの時点では未開業)が現在の山手線に該当する区間となります。
開業した駅 … 上野駅

日本鉄道株式会社とは … 日本最初の私鉄です。国にかわって当時の華族や士族が出資をして会社が設立されました。いくつかの路線が計画されましたが、開通したのは東京~青森方面が中心となりました。日本鉄道が敷いた線路が後の山手線に流用されています。
1885年【明治十八年】
今度は日本鉄道品川線が開業しました。赤羽駅から分かれて新宿・渋谷方面を通って、東海道線の品川駅に繋がりました。このことによって北関東と横浜方面が結ばれました。なぜ直線的に新橋と上野が結ばれなかったのかというと、この辺りは人口密集地で土地買収に時間と手間がかかったからです。
このとき渋谷駅・新宿駅などが開業します。当初は客を乗せるよりも貨物輸送が主な役割でした。旅客よりも北関東方面で生産されたものを横浜方面へ運搬する貨物輸送の需要の方が大きかったからです。また開業時の沿線は現在からは考えられませんが、のどかな風景が広がっていました。
この地域は東京の西側で、少し高台に位置するので「山の手」と呼ばれていました。(それに対して東京の東側にあたる低い地域は「下町」と呼ばれていました)そのエリアを通るという意味で山手線と名付けられました。
つまり現在の正式な山手線の大部分が、かつての日本鉄道品川線となっているのです。後に日本鉄道は明治三十九年に国有化され、旧国鉄の路線として組み込まれていきます。
開業した駅 … 新宿駅・渋谷駅・目黒駅・目白駅

1890年【明治二十三年】~1901年【明治三十六年】
日本鉄道開業後の上野駅には、東北方面との旅客や貨物が集中していました。この状況を少しでも改善するために、まず貨物駅として1890年(明治二十三年)に秋葉原駅が設置され、上野駅~秋葉原駅間に貨物列車専用の路線である「秋葉原線」が開通しました。
開業した駅 … 秋葉原駅(1890年)・田端駅(1896年)・大崎駅(1901年)・恵比寿駅(1901年)

1903年【明治三十六年】
日本鉄道品川線の池袋駅を設置し、さらに日本鉄道東北線の田端駅からそれぞれから分岐させて、池袋駅~田端駅を結ぶようにして日本鉄道豊島線が開業しました。北関東で採れた石炭などを京浜地区に運搬するのに貢献しました。またこれまでよりもショートカットされるようにして「C」の字運転が開始されました。さらに途中駅として大塚駅・巣鴨駅が開業します。
開業した駅 … 池袋駅・大塚駅・巣鴨駅

1906年【明治三十九年】~1914年【大正三年】
この間に続々と駅が開業します。ここで東京駅開業までの流れを見てみましょう。
まず1909年に東海道本線(京浜線)の烏森駅(現在の新橋駅)が開業します。1910年には将来の東京駅方面への高架橋が完成していましたが、東京駅舎の完成には時間を要したことから、東京駅開業までの臨時駅として呉服橋駅が設置されます。この頃に日本鉄道品川線や豊島線が「山手線」と呼ばれるようになりました。
1914年に東京駅が開業することによって東海道本線の起点が少し北上します。これによって暫定駅の呉服橋駅は廃止されます。さらに日本初として開業した汐留地区にあった旧新橋駅は貨物専用の汐留駅に改称され、烏森駅は新橋駅の改称されました。ちなみに汐留駅は1986年(昭和61年)に廃止され、21世紀に入ってから「汐留シオサイト」として再開発されています。
開業した駅 … 代々木駅(1906年)・原宿駅(1906年)・田町駅(1906年)・浜松町駅(1909年)・烏森駅(現在の新橋駅/1909年)・有楽町駅(1910年)・呉服橋駅(1910年/暫定駅で現存しない)・高田馬場駅(1910年)・駒込駅(1910年)・五反田駅(1911年)・鶯谷駅(1912年)・新大久保駅(1914年)・東京駅(1914年)
東京駅が開業するまでの周辺の線路や駅の変化


1919年【大正八年】
1912年(大正元年)までに、甲武鉄道から国有化された中央線が万世橋駅(現在は廃止)まで延伸されていました。その中央線が東京駅まで延伸したことによって、山手線と直通されて「の」の字運転が開始されます。中野駅~新宿駅~東京駅~品川駅~新宿駅~上野駅と運転されるようになりました。
開業した駅 … 神田駅

1925年【大正十四年】
最期に残っていた空白地である神田駅~上野駅間が開通しました。すでに秋葉原駅~上野駅には貨物専用の秋葉原線が存在しましたが、貨物線の上に高架を渡して旅客線として開通させました。このようにして山手線の環状運転が開始されました。これにより「の」の字運転は終了しました。
開業した駅 … 御徒町駅

1926年以降【昭和元年以降】
高輪ゲートウェイ駅は品川駅~田町駅間に設置されました。この区間はもともと山手線最長区間でした。この空いていた区間に新駅計画が2014年に発表されたのです。
2017年に着工し、東京オリンピック・パラリンピックにあわせて2020年(令和二年)に暫定開業、2025年(令和七年)に全面開業しました。山手線の駅としては1971年(昭和四十六年)の西日暮里駅以来、49年ぶりの開業となりました。こうして山手線の最古の駅(品川駅)と最新の駅が隣り合うことになりました。
開業した駅 … 日暮里駅(1931年)・西日暮里駅(1971年)・高輪ゲートウェイ駅(2020年)



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