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【歴史】戦後80年 なぜ8月15日は終戦の日・終戦記念日になったのか?

学習Q&A 歴史
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終戦の日と終戦記念日の違いは?

毎年8月15日は「終戦の日」も「終戦記念日」です。今年(2025年)で1945年(昭和20年)から80年を迎えました。

「終戦の日」も「終戦記念日」も、どちらも戦争が終わった区切りの日ということで、基本的に同じ意味がありますが、使われ方に微妙な違いがあります。

例えば、メディアによっては終戦の日という名称を使用している場合もあります。その理由としては終戦記念日という名称に抵抗感を抱く人がいるからです。記念日というと喜ばしいことを忘れないという意味で使われることがあります。そのために終戦記念日という表現に違和感を持つ人もいるからです。

このように終戦の日や終戦記念日という名称は、メディアや組織や個人によっても、どちらを使うかはそれぞれの判断に任されています。

8月15日に至るまで何があったか?

ときは昭和20年(1945年)でした。戦況がかなり悪化していた日本に対してイギリス・アメリカ・中華民国・ソ連の首脳が集まって、7月17日~8月2日にかけてポツダム会談(ドイツ)が行われ、ポツダム宣言が発せられました。内容は日本への無条件降伏を求めるものでした。(ソ連はこの段階では、日ソ中立条約の関係で宣言に署名しませんでした)

当時の鈴木貫太郎内閣はこの宣言を黙殺します(黙殺は「ノーコメント」の意味で使ったとされる)。内閣としては、天皇中心の国体を維持されるのかが不明確であったことと、軍部による戦争続行の意向を止めることはできなかったので、この段階では受諾できませんでした。この反応に対して連合国側は宣言を拒否したとみなします。

日本の強硬な態度に対してアメリカは、原爆投下へと進んでいきます。こうして8月6日に広島、8月9日に長崎に原爆が投下され、何十万人以上もの人々が亡くなったのです。

さらに原爆投下の混乱の最中であった8月8日未明、突然ソ連が日ソ中立条約を破って旧満州へ宣戦布告します。ソ連はアメリカ・イギリスと結んだヤルタ協定という密約によって、水面下でこの計画を進めていたのです。

本土決戦がせまる中、8月10日の御前会議による天皇の聖断を経て、ついに宣言受諾が閣議決定されます。

御前会議とは … 明治時代から戦時中まで、天皇出席のもと、国の重要課題について決定するための開かれた会議のことです。主に戦争に開戦・終結などについて話し合われました。

8月10日~14日にかけて、宣言受諾を受けて「終戦の詔書」(しゅうせんのしょうしょ)を作成され、鈴木内閣によって発布されました。こうして、最終的に8月14日にポツダム宣言を受け入れることが決定されます。

8月15日正午、このことを国民に知らせるために有名な昭和天皇による玉音放送が行われます。この放送で天皇が終戦の詔書を朗読しました。こうして戦争が終わったことが公に表明されたのです。

ちなみに、この戦争とは太平洋戦争(1941年開戦)・日中戦争(1937年開戦)の戦争を指していますが、日本の同盟国であったドイツなどのヨーロッパ戦線はすでに終結しており、日本が終戦することは第二次世界大戦の実質的な終戦を意味していました。

しかし、海外では一般的に8月15日が終戦した日とは考えられていません。それは玉音放送が、あくまでもポツダム宣言を受諾したことを日本国民にアナウンスしただけで、法的な拘束力を持つものではなかったからです。

それでも、国民が今まで声を聞いたことがなかった天皇が、肉声でラジオを使って知らせたという点で、日本にとって終戦の象徴的な出来事となりました。その結果、日本国内では8月15日が一般的に終戦の日や終戦記念日として広まりました。

8月15日以降に何があったのか?

8月15日の玉音放送によって、一部を除いて国内・国外での戦闘行為は止まります。(ソ連軍の侵攻によって千島列島や旧満州などでは戦闘が続きました)

一連の出来事による混乱の責任を取って、8月17日に鈴木内閣は総辞職します。

停戦から2週間たった8月28日に、厚木基地にアメリカ軍の先遣隊が到着します。さらに8月30日、GHQの総司令官としてマッカーサーが到着しました。こうして連合国による本格的な日本の占領が進んでいくことになります。

GHQとは … 連合国軍最高司令官総司令部のこと。ポツダム宣言を実行する目的のために、日本を占領した組織です。しかし、実質はアメリカによる日本の占領機関という性質を持っていました。

9月2日、東京湾に停泊していたアメリカ海軍の戦艦ミズーリ号で、日本側の代表団と連合国代表が出席して、連合国降伏文書への調印が行われました。こうして、1939年のドイツによるポーランド侵攻以降続いてきた第二次世界大戦がついに正式に終結しました。(ソ連軍は9月5日まで組織的な戦闘を続け、現在の北方領土を占領しました)

9月2日については、国際的には正式に戦争が終わった日として知られています。アメリカなどではこの日を戦勝記念日としています。

ここで出てきた地名については、以下の地図で確認してください。

終戦当時の日本周辺の地図。満州国や北方領土などがどこにあるかを示している。

終戦について 8月15日と9月2日の違いは?

以上のことから終戦した日については、次のようにまとめることができます。

  • 8月15日 … 天皇が日本がポツダム宣言を受諾したことを国民に知らせた日
  • 9月02日 … 日本が連合国側の無条件降伏文書(ポツダム宣言)に正式に調印した日
  • 8月15日 … 日本では終戦の日・終戦記念日として知られている
  • 9月02日 … 海外の多くの国では、この日を終戦した日とみなしている
    中国やロシアでは、9月3日を戦勝記念日としています。

8月15日を終戦の日(終戦日)とすることは、1963年の閣議で決定されました。(終戦記念日という名称は定義されてはいません)
さらに、この日は「戦没者を追悼し平和を祈念する日」とされていて、政府主催の全国戦没者追悼式や平和に関する行事などが開催されていますが、この名称が決定したのは1982年です。
このことからも、8月15日を終戦の日・終戦記念日としているのは、あくまでも国内に向けたもので海外とは事情が異なるということが分かります。

開戦についての詳しい解説は、以下の記事をご覧ください。

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