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【公民】大日本帝国憲法の「臣民の権利」とはどんな権利?

学習Q&A 公民
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大日本帝国憲法とは?

  • 発布:1889年(明治22年)2月11日
  • 施行:1890年(明治23年)11月29日

1870年代後半以降の自由民権運動の中で、板垣退助らは国会開設を要求するようになりました。国会開設を要求された政府は当初前向きではありませんでした。しかし、欧米の近代国家に並ぶようになるためには、国会の内容も含めた憲法を基盤にした国づくりが必要でした。そのために憲法制定に着手しました。こうして1889年に発布されました。これが大日本帝国憲法です。

この憲法では、主権は天皇が持っていました。これを「天皇主権」といいます。つまり主権者は天皇でした。

ちなみに、この憲法はドイツ(プロイセン)の憲法を参考にして作られました。なぜなら、この憲法は君主の権力が強かったので、天皇を中心とした近代国家を考える日本にとって、都合が良かったからです。

現在の日本国憲法における「国民主権」とは、考え方が大きく異なることが分かります。

大日本帝国憲法下での人権とは?

大日本帝国憲法の第2章には、臣民の権利・義務(全15ヶ条)について明記されています。ここでまず「臣民」という言葉について考えましょう。臣民とはどんな定義があるでしょうか?

君主国において、君主に支配される者としての人民を指す語

Wikipediaより

という意味があります。例えば、王様などの君主に忠誠を誓って仕える家来のことを臣下といいますが、そこに使われている「臣」と同じ意味です。

大日本帝国憲法の場合、君主は天皇であったので、臣民は天皇に支配される人々という位置づけだったのです。

臣民の権利とは何でしょうか?

臣民の権利とは、天皇から臣民に恩恵として与えられたさまざまな権利のことです。「恩恵」であるということが重要なポイントです。

例えば、プレゼントはもらえると嬉しいですが、無かったらといって、プレゼントを相手に求めることはしません。ですからこれらの権利も、与えられたら大変ありがたいものですが、無ければ無いでそれまでだったのです。つまり権利を与える側の加減で全てが決まったのです。

恩恵とは … 恩恵とは他者から与えられる恵み・利益のことです。

この考え方は、どのような形で憲法の中で表れていたでしょうか?
具体的に憲法の一部条文から見てみましょう。

  • 第22条 日本臣民は、法律の範囲内において、居住及び移転の自由を有する。
  • 第29条 日本臣民は、法律の範囲内において、言論、著作、印行、集会及び結社の自由を有する。

上の条文の「法律の範囲内において」という表現に注目することができます。自由はあるけど、あくまでも制限の中で自由を享受していいよということです。

このように、居住・移転・言論・集会・結社などの自由があったものの、それは条件付きだったことが分かります。次に「法律の範囲内」という考え方がどのような影響を及ぼすか見てみましょう。

臣民の権利はどんな影響をもたらしたのか?

臣民の権利が法律の範囲内だったということを考えると、個人がどれほどの自由を持つことができるかどうかは、法律のさじ加減で変わってくるということになります。もしも、自由を狭めるような法律が作られると、それだけ自由の幅は狭くなってしまう可能性があります。

憲法と法律の関係 … 憲法は、国の基本的な最高法規のことです。法律は国会で作られますが、法律は憲法に基づいて作られるもので、憲法の考え方に反してはいけません。つまり、憲法がまずあって、その下に多くの法律があるのです。

制限がない人権を手にするのは、戦後の日本国憲法まで待たなければいけません。

日本国憲法との人権の違いは?

まず、現在の憲法では臣民という言葉は使われません。それは国民主権を基本原則としているからです。では、日本国憲法における人権はどのように扱われているでしょうか?

日本国憲法では、大日本帝国憲法での天皇主権は否定されました。それによって、日本国憲法の第11条では、国民は人権(基本的人権)を持つことが保障されていて、侵すことができない権利と定められています。

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