政党とは
政治で何かを実現すること(政策)に関して、同じ考えを持つ人々が集まって作る集団を政党といいます。イギリスで始まった政党は、日本では1874年に初めて結成されました。
政党がチームのようになって、お互いが協力し合い、政策を実現していきます。民主主義においては、「多数決の原理」が大切です。大勢の意見を集めることによって、より大きな力となります。そのために選挙によって、多くの人を当選させて政党を作って活動していきます。
政党政治・政党内閣とは?
政党政治とは、議会(国会)で多数を占める政党が内閣を作って政治を行うことです。このような形で作られた内閣を政党内閣といいます。
選挙のさいには、複数の政党が争って多くの議席を得ようと努力します。その理由は、最も議席を獲得した政党が内閣を作ると、その政党は政策を実現しやすくなるからです。
内閣とは … 内閣総理大臣(首相)と複数の国務大臣からなる組織で、国会で決定したことに基づいて、国のための仕事(行政)を行うところです。
政権を担当する政党は一つとは限らず、複数の政党で構成されることもあります。複数の政党で行われることを連立政権といいます。現在では、日本では連立政権が主流になっています。
一番多くの議席を得た政党の党首(トップ)が首相になり、内閣を作ります。
政党政治についてまとめてみました。

政党政治のメリット・デメリットは?
日本も含めて海外でも広く取り入れられている政党政治ですが、メリット(長所)やデメリット(短所)もあります。
メリットとは?
- 最大のメリットは、効率的に意思決定できることです。
政党のような集団ではなくて、個人個人の意見を言い合っていると、時間がかかってなかなか決まりません。しかし、政党があることによって、個人の意見をある程度意見をまとめることができるので、限られた時間の中で効率的に話し合いを進めることができます。
しかも、選挙で選ばれた議員は民主的に選ばれています。つまり、民意を得た議員が、民意を反映させながら意思決定することができるのです。それにより、効率的かつ民主的な方法で政治を進めることができます。

デメリットとは?
- 特定の政党が政権を持ち続けた場合、ライバルとなる政党の競争がなくなるので、一方的な政治を行いやすく、民意を反映しにくくなることがあります。
- 政党内でも意見の相違や対立が見られる場合、混乱が起きて、効率的に進めることができなくなることがあります。

与党と野党とは
内閣を作り、政権を担当している政党を与党といいます。一方で、政権を担当していなくて、政権を監視して批判する政党を野党といいます。

日本では、自由民主党【通称:自民党】が1955年に結党されて以来、単独で政権を担ってきました。つまり与党を担ってきました。これによって、日本社会党【現在:社会民主党】を中心とする野党との対立する構図ができあがりました。これを「55年体制」といいます。
55年体制とは … 自由民主党の保守勢力(憲法改正を目指すこと)が議席の3分の2、日本社会党を中心とする革新勢力(憲法改正に反対すること)が議席の3分の1を占めることによって、憲法改正を阻止することが必要な議席数を持って対立する形のことです。
40年近く55年体制が続いた後、1993年の衆議院議員総選挙で、細川護熙内閣が成立したことで、55年体制は崩れました。その後は連立政権を中心として政治が進められることが多くなっています。
「55年体制」以前の政治はどうだったか?
政党政治が確立されるまでは、日本の政治はどんな歴史をたどったのでしょうか? 今のような政党政治が当たり前の時代が来るまでの激動の歴史があったことが分かります。
明治期:藩閥政治の全盛
明治以降、薩摩藩(現在の鹿児島県)や長州藩(現在の山口県)といった、明治維新で活躍した特定の藩出身者が政治の権力を独占する藩閥政治が行われていました。一部の地域の出身者が政治の中枢を握るので、どうしても排他的になり政策が偏りがちになってしまいます。そのような中で不満を持つ人々が出てきます。
後に議会(国会)設立や憲法制定を目的とした自由民権運動が盛り上がりました。さらに、大正時代に二度にあった護憲運動によって、憲法を大切にした政治(立憲政治)を求める動きも出てきました。
1898年(明治31年)に大隈重信や板垣退助による日本初の政党内閣が成立しましたが、このときは本格的な政党内閣ではありませんでした。
大正期:政党政治の確立
護憲運動の流れの中で、1918年に日本で初めての本格的な政党内閣が組織されました。与党である立憲政友会による原敬内閣の誕生です。それまでの多くの内閣は、薩摩藩・長州藩などの藩閥出身者で占められていましたが、藩閥とは全く関係のない出身者(現在の岩手県)である原敬が、衆議院で議席を持つことは初めてでした。
その後は、一時的に政党政治が途絶えた時期はありましたが、政党政治が断続的に続いていきました。
戦時中:戦時体制に突入
日本の戦時色が濃くなって社会が不安定になる中で、1932年に東京で五・一五事件(ごいちごじけん)が起こります。海軍の青年将校によって起こされた襲撃事件でした。これにより政党内閣を行っていた立憲政友会の犬養毅首相(いぬかいつよし)が殺害されました。この事件によってしばらく続いていた政党政治は終わりを告げます。
ここからはしばらくの間、軍部が政治の実権を握る時代がやって来ます。特に1940年以降は大政翼賛会が権勢を奮います。この状況は、終戦の1945年まで続きます。
大政翼賛会とは … 戦時体制中に、国民を戦争に協力させるために全国規模の組織(政治結社)です。それまであった政党が解散して、大政翼賛会に合流しました。
戦後の1945年秋以降、戦時中の政治体制の解体が進む中で、新たに政党を結成する動きが始まります。そして55年体制へと進んでいきます。


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