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【歴史】世界各地にあった古代文明

学習Q&A 歴史
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古代文明

日本が縄文時代だった頃、世界各地では文明がすでに起こり始めていました。この記事では、メソポタミア文明、エジプト文明、インダス文明、中国文明について解説します。これらの文明には以下のような共通点がありました。

  • 大河の流域に平野が広がっていたこと
    → 水が豊富にあって、農業に適していました。
  • 独自の文字が発明されたこと
    → 社会と技術の発展に貢献しました。
  • 北緯20度~40度の間にあったこと
    → このあたりは比較的穏やかな気候だったので、農業に適していました。

文明 … 人間が作り出した高度な文化や社会を包括的に指す言葉です。

上記の4つの文明をまとめて、「(世界)四大文明」と呼んでいますが、これは20世紀初頭の中国の専門家である梁啓超りょうけいちょうの考え方に基づいた呼称です。この影響を受けて日本の教育現場でも広く用いられてきましたが、この呼称は中国や日本のみで、世界的には受け入れられていません。

近年では、この言葉は教科書などから消えつつあります。そもそもこの呼称だと古代文明が四つしかないような印象を与えますが、そのような根拠はなく、これ以外の地域(南・北アメリカ大陸など)にも多様な文明は存在していました。そうは言ってもこれら4つの文明は、高度に発展した文明としてよく取り上げられるのです。

梁啓超 … 中国・清朝の政治家・思想家・歴史学者です。梁が1900年に作った詩の中で「地球上の古文明の祖国に四つあり、中国・インド・エジプト・小アジアである」と述べています。

中国文明

時 期:紀元前4000年以降(諸説あります)
場 所:黄河・長江流域
文 字:甲骨文字

中国文明は、以前は黄河文明と呼ばれていませんでしたか?

長江流域にも文明は存在していたことから、黄河・長江をまとめて中国文明と総称するようになりました。

中国文明の始まりに関しては、不明確な点が残されており、特定することができていません。

中国最初の王朝として、王朝が存在したとの記述が「史記」にはあるものの、実在の証拠が不足していましたが、近年王朝の存在を示す考古学的な証拠も出始めています。

紀元前1600年ごろには、いん王朝(商王朝)が誕生します。王が占いによって政治を行うために、占いの記録をするために甲骨こうこつ文字が用いられました。それらの文字は亀の甲羅こうらや牛骨に刻まれました。骨に刻むために、全体として曲線よりも直線が多く、角ばった文字となりました。これが漢字の起源となりました。

甲骨文字 … 1899年に、清朝末期に金石学者の王懿栄おう い えいが、マラリアの薬として購入した竜骨に文字が刻まれているのを偶然に発見しました。これをきっかけにこの古代文字の研究が行われ、甲骨文字と名付けられました。

殷の後、が起きましたが、周が滅んだ後、春秋戦国しゅんじゅうせんごく時代があり、いくつもの国が争いました。この時代に孔子こうしなどの有能な思想家があらわれました。

紀元前3世紀には、しん始皇帝が中国を統一しました。各地でばらつきがあった文字・貨幣なども統一し、「皇帝」という称号を使い始めました。また北方の遊牧民の侵入を防ぐために万里ばんりの長城を築きました。

王朝では、孔子の教えを取り入れた政治が行われました。この教えを儒教といいます。またシルクロードが整備され、西方との交流も行われ、人や物が行き来しました。

シルクロード … 中国から中央アジアを経てヨーロッパまで横断する東西の交易路のことをまとめてシルクロードと呼んでいます。中国の絹織物が運ばれたことから、この道を「絹の道=シルクロード」と呼ぶようになりました。

メソポタミア文明

時 期:紀元前3500年ごろ(諸説あります)
場 所:ティグリス川・ユーフラテス川流域
文 字:楔形くさびがた文字

メソポタミア文明は現在のイラク周辺で起こりました。メソポタミアは、エジプトなども含めてオリエントと呼ばれていました。

オリエント … 西洋(ヨーロッパ)から見た東方の地域全般を指しています。

ハンムラビ王がメソポタミア全域を統一し、王は晩年にハンムラビ法典をつくって人々を支配しました。この法典は石に楔形文字が刻まれています。この中で一番有名なのは、「目には目を、歯には歯を」という法です。他者からの損害を受けた場合、それを見合ったものを相手に補償してもらうという考え方です。この法の目的は、復讐を煽ることではなく、むしろ過度な復讐を防ぎ、公正な問題解決を図ることでした。現代の罪刑法定主義の起源ともいわれています。

60進法は60を基数として数を表現する方法です。60は多くの数で割り切れるために、時間を簡単に分割できるというメリットがありました。そのために現在でも時間や角度などの名残が見られています。

60進法 … 数字が60個集まると位が一つ上がります。これによって大きい数を表せました。

太陰暦は、月の満ち欠けの周期を1ヶ月(約29.5日)にし、12ヶ月を1年(約354日)とする暦です。しかし運用していくと、実際の太陽の動きとは約11日のずれが生じるために、閏月うるうづきを定期的に入れることで、太陽の動きつまり季節と合わせるように調整されました。人類が最も早くに用いた暦といわれています。

エジプト文明

時 期:紀元前3100年ごろ(諸説あります)
場 所:ナイル川流域
文 字:象形文字(神聖文字)

エジプトを支配していたファラオ(王)は太陽神ラーの子として、あがめられ、強大な権力で人々を支配しました。巨大なピラミッドはファラオの墓といわれていますが、それらの遺跡は、ここに高度な文明が築かれていたことを証しています。ギザの三大ピラミッド(クフ王・カフラー王・メンカウラー王)が有名です。

ファラオ … 古代エジプトの国王を指す称号です。歴代の王は「ファラオ」の名で呼ばれました。

古代エジプトで使われた象形文字の一種である神聖文字(ヒエログリフ)が、エジプトと使われた文字の中で最も古いと考えられています。この文字は主に神殿の墓や壁などに刻まれました。後に神聖文字を簡略化して神官文字(ヒエラティック)が生まれ、パピルス紙に書かれるようになりました。さらに神官文字も簡略化されて民衆文字(デモティック)も生まれました。

象形文字 … 物体や事象の形をかたどって作られた文字です。絵文字との違いは、象形文字は特定の単語と結び付いているところです。

ナイル川流域では、川の氾濫を利用した農業を行うために、氾濫時期を正確に把握する必要がありました。太陰暦は月の満ち欠けを基準とした暦だったので、季節の変化とずれが生じやすく、農業には不向きでした。そこで、1ヶ月で30日、12ヶ月で1年とした太陽暦が作り出されました。太陽暦は季節の変化と一致するために、農作物を栽培しやすくなりました。

インダス文明

時 期:紀元前2300年ごろ(諸説あります)
場 所:インダス川流域
文 字:インダス文字

インダス文明は現在のインドやパキスタンにまたがった地域で、インダス川を中心に発展しました。この文明を担っていたのは、ドラビィダ系の民族と考えられています。この民族は現在南インドに分布しています。

インダス文明といえば、下流の「モヘンジョ=ダロ」の都市遺跡が有名です。これらの遺跡では、整然と整備された街に、下水道・井戸・公衆浴場などの施設がありました。さらに大きな家には沐浴室が備えられていました。このことから高度な技術で建設されたことが分かります。遺跡で興味深いのは、エジプトのように中心となる権力者の墓や宮殿などは見つかっていないということです。このことから比較的平等な社会を構築していたのではないかと考えられていますが、実際にどのような政治が行われていたのかはうかがい知ることはできません。

モヘンジョ=ダロ … 1921年にインドの考古学者によって発見されました。当初は紀元後の遺跡と思われていましたが、調査が進むにつれて、より古いものであることが分かったのです。

インダス文字については、現在数百種類が見つかっていますが、他の言語との比較ができないことや、長文が見つかっていないために、現時点では解読できていません。そのためにこの文明については未だに多くの謎が残っています。

インダス文明は、紀元前1800年頃に急速に衰えていって、最終的に消滅しましたが、その原因についても分かっていません。いくつかの説はありますが、確定的なものはありません。

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