「道草を食う」の意味は?
「道草を食う」とは、目的地へ向かう途中で寄り道をして時間を無駄に過ごすことを表す慣用句です。もともとは、馬が道端の草を食べるために、前に進まなくなる(進行が遅くなる)ことを意味していました。
否定的なニュアンスが語られることが多い慣用句です。その一方で、寄り道する中でさまざまな経験を重ね、自分なりのペースで生きることを肯定的にとらえる意味でも使われることがあります。
慣用句 … 習慣として長い間広く使われてきた、ひとまとまりの言葉や言い回しのことです。
草食動物の馬は、一日の多くの時間を草を食べることに費やす必要があります。移動中でも道端の草を見つけると立ち止まり、あちこちの草を延々と食べ続けることがあります。そのために目的地に向かう途中にもかかわらず、馬が草を食べて前に進まない光景が、昔は日常的に見られました。
使用例
・学校の帰りに道草を食っていたら、家に着くのが遅くなった。
・親には、道草を食わずに、まっすぐ帰るように言われた。
・散歩の途中で花を眺めたり写真を撮ったりしていたら、つい道草を食ってしまった。
・約束の時間が迫っているから、今日は道草を食っている暇はない。
歴史上の用例
古くは「吾妻鏡」にはこの表現が出てきます。鎌倉幕府の御家人を務めた八田知家が、源頼朝から手紙で「怠け馬が道草を食うようなものだ」と𠮟責を受けたことがあります。明治時代(1897年)に連載された尾崎紅葉の「金色夜叉」にも、表現が出てきます。また夏目漱石も「道草」という小説を発表しています。
「油を売る」の意味は?
「道草を食う」と類似した慣用句として「油を売る」があります。ともに、本来の目的以外のことに時間を費やすという点で共通しています。
仕事中などに立ち話や雑談で時間を無駄に過ごし、本来やるべきことを中断して、さぼっている様子を表す慣用句です。
江戸時代、町には油を入れた樽をかついで量り売りする商人がいました。油は粘り気があるので、商人の器から客が持参した器に移すときに、注いだ油が糸をひいてなかなか切れずに時間がかかりました。その間、商人は客と世間話をして時間を費やしました。このことから「油を売ること = 長話をして時間をつぶす・怠ける」を意味するようになりました。
江戸時代に江戸の街中では、油は行灯(昔の和紙と木枠で作られた照明器具)や屋台での調理のために用いられていました。また、椿油・ごま油は女性の整髪のためにつけられていたので、さまざまな用途で需要がありました。
使用例
・油を売っている暇があったら、早く宿題を終わらせなさい。
・営業に行ったはずなのに、取引先で油を売っていて帰りが遅くなった。
・みんなが忙しく働いているのに、一人だけ油を売っている。
・彼はゲームセンターで油を売っていて、待ち合わせの時間を過ぎてしまった。


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