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【地理】沖ノ鳥島はどんな島?

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学習Q&A 地理
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地理

沖ノ鳥島おきのとりしまは、太平洋上の小笠原諸島に属する小さな孤島で、島そのものの面積はわずか約9.44m3しかありません。

南北方向に約1.7km、東西方向に約4.5km、周囲11km、約5.8km2の面積(東京ドーム107個分)のサンゴ礁があります。

干潮時には環礁の大部分が海面上に姿が見せますが、満潮時には2つの小岩(東小島・北小島)しか見えなくなります。

サンゴ礁造礁サぞうしょう ンゴなどの石灰質の骨格が長い年月をかけて積み重なってできた地形です。熱帯や亜熱帯の発達します。
日本には「裾礁きょしょう」といって、島や大陸の海岸に沿って発達するタイプが多いですが、沖ノ鳥島は「環礁かんしょう」といって、中央に島がなく、サンゴ礁がリング状に発達し、中央に浅いラグーン(礁湖)を囲むように低くて平らな島々からなるタイプとなっています。

※造礁サンゴ … サンゴ礁の形成に関わるサンゴの総称のことです。

日本の領土として最南端に位置していて、東京都から約1,700km、小笠原諸島父島から約1,000km、硫黄島から約720km離れたところにあります。住所は東京都小笠原村です。

北緯20度25分・東経136度04分に位置しています。日本では唯一の北回帰線より南のある領土です。

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歴史

中新世以前に形成された火山島が海面下に水没して、その山の上に、遠方から流れ着いたサンゴが1,500万年の長い期間をかけて堆積して造られました。沖ノ鳥島は数千メートル級の巨大な山のほんの頂上が見えているのです。

中新世 … 新生代の新第三紀の最初の区分で、約2,300~530万年前です。

1543年(天文12年)、スペインのサン=ファン号が発見したいくつかの小島の一つが沖ノ鳥島ではないかといわれています。さらに1565年(永禄8年)、スペインのサン=ペドロ号が「パレセベラ」と名付けた浅瀬もそうではないかといわれています。このように16世紀の大航海時代には、スペインによって沖ノ鳥島らしき島の存在は認知されていたと考えられます。

1789年(寛政元年)、イギリス船が沖ノ鳥島を発見し、「ダグラス礁」と呼ばれるようになりました。この時点ではいずれの国も領有権を主張することはありませんでした。

第一次世界大戦後、ドイツの統治していた南洋諸島が国連により、日本の委任統治領いにんとうちりょうとなりました。海軍の測量艦「満州」が南洋諸島の測量に向かう際に立ち寄り、調査・測量を行ないました。

南洋諸島 … 第一次世界大戦後に日本が国連から委任統治を受けた西太平洋のミクロネシア地域(グアム島を除く)の島々の歴史的な総称です。マリアナ諸島、カロリン諸島、マーシャル諸島などが含まれます。

南洋諸島の近くにあるこの島を南洋統治のために活用しようとした日本政府は、各国の状況を調査し、いずれの国も領有権を主張していないことを確認した上で、1931年(昭和六年)に「沖ノ鳥島」と命名し、当時の東京府へ編入させました。こうして沖ノ鳥島は正式に日本の領土となりました。

1939年(昭和14年)~1941年(昭和16年)にかけて、気象観測所や灯台の設置工事が行われます。これは戦争のために島の基地化を目的としたものでしたが、戦争の激化に伴って工事どころでなくなり、中断されて戦後まで放置されることになります。

1952年(昭和27年)、アメリカの信託統治下に置かれますが、1968年(昭和43年)、16年ぶりに沖ノ鳥島を含めた小笠原諸島が日本に返還されました。

1977年(昭和52年)、12海里の領海と200海里の漁業水域を暫定措置として設定します。

さらに1982年(昭和57年)、国連海洋法会議において「海洋法条約」が成立します。これにより200海里の排他的経済水域が規定されます。

海洋法条約 … 領海や経済水域など、海洋に関するルールを定めた条約です。1982年に国連で採択され、1994年に発効しました。「海の憲法」とも呼ばれています。

1987年(昭和62年)~1993年(平成5年)、国よって護岸等の工事が行われます。戦前工事が進みかけていた土台などを活用して、観測所が設置されました。

1996年(平成8年)、「領海及び接続水域に関する法律」が改正、「排他的経済水域及び大陸棚に関する法律」が公布されます。さらに1999年(平成11年)には、国費による直轄管理が開始します。

2007年(平成19年)、「沖ノ鳥島灯台」の運用が開始されます。同年「海洋基本法」が施行されます。

2008年(平成20年)、沖ノ鳥島周辺が関係する複数の海域について、国連に属する大陸棚限界委員会に大陸棚延長の申請を付託し、2012年(平成24年)に大部分が延長が認められます。

2010年(平成22年)、「排他的経済水域及び大陸棚の保全及び利用の促進のための低潮線の保全及び拠点施設の整備等に関する法律」という法律が施行されて、南鳥島とともに特定離島に指定されます。これにより、日本の領海・排他的経済水域を維持するための拠点としての重要度が一層増しました。

2011年(平成23年)には、小笠原諸島が世界自然遺産に登録されましたが、沖ノ鳥島はその対象には含まれませんでした。

沖ノ鳥島には人が住んだことはありますか?

島自体がごく小さく、高潮時にはわずかな陸地しか出ないので、定住的に人が住んだ記録はありません。いわゆる無人島ですが、調査・保全のために研究者や関係者が交代で短期滞在する拠点は設けられています。ちなみに沖ノ鳥島を本籍としている人は2005年の時点で100人以上います。

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現状

護岸工事

沖ノ鳥島は小さな島ですが、日本の国土面積を優に上回る約40万kmの排他的経済水域を有していて、国土保全上かなり重要な島です。

しかし長年の浸食により、北小島、東小島も水没する恐れがあります。もし島と認定されなくなると、広大な排他的経済水域を失ってしまいます。

日本が領有を開始した1932年の時点では、満潮時で6つの岩(日本側の解釈だと島)が海面から姿を現していました。しかし太平洋上のこの地域では、毎年のように台風が通過するために荒波が起こり、それらの岩が削れられていきました。

1938年までには、北小島の南にあった岩が消失します。その他の3つの岩も海面にわずかなながら出ていましたが、1987年までには消失しています。このように、島全体が水没してしまう危機に瀕していましたが、具体的な処置はなされずに時間が経過しました。

ようやく、1987年から護岸の設置工事が行われました。さらに1999年には、全額を国費によって国土交通省が主導で海岸の維持・管理を行うようになっています。

護岸工事が行われているものの、冒頭で紹介したように、満潮時には2つの岩だけが何とか姿を見せるだけに過ぎません(大潮おおしおのさいには、北小島は16cm、東小島は6cm、海面上に出ます)。

現在、東小島・北小島はこれ以上浸食されないように、コンクリートの護岸で防護されています。丈夫な堤防がそれらの小島を囲むように造られていて、さらには上からは岩を覆うように防護網をかぶせています。

また経年劣化により、毎年数億円をかけて傷んだコンクリートの点検や補修も行われています。

海外からの反発

「海洋法条約」によると、排他的経済水域の起点となる領海基線りょうかいきせんを設けることができる島については第121条で次のように規定されています。

領海基線 … 領海や排他的経済水域などの幅を測る際の基準となる線のことです。通常は海岸の低潮線をていちょうせん 基準とします。また海岸線が複雑な場合は、直線を基線とすることもあります。
低潮線 … 潮汐によって海面が最も低くなったときに現れる陸と水面の境界線のことです。

第121条

第1項:「島とは、自然に形成された陸地であって、水に囲まれ、高潮時においても水面上にあるものをいう。」
第3項:「人間の居住又は独自の経済的生活を維持することのできない岩は、排他的経済水域又は大陸棚を有しない。」と定められています。

沖ノ鳥島に関して、日本政府は次のように考えています。

第121条第1項の定義から考えると、日本は沖ノ鳥島は「島」であると主張しています。これによって沖ノ鳥島を中心として、排他的経済水域を設定しました。

海外では次のような主張がされました。

1988年にハワイ大学マノア校のダイク教授は、沖ノ鳥島はについて「キングサイズのベッドくらいの大きさしかない」と指摘し、居住不可能な岩にすぎないので、排他的経済水域を設定すること自体ができないと主張しました。

これらの主張に対して、日本政府は次のような見解を示しています。

そもそも海洋法条約には、「岩」とは何かという定義が存在しないとしていることから、121条の規定によって、特定の地域が排他的経済水域を有しないとする根拠がないと、国会で答弁しています。

沖ノ鳥島について、中国や韓国などが次のような異議を唱えています。

2004年、中国が沖ノ鳥島が海洋法条約の「島」に該当せず、第3項の「岩」であり、領海は設定できるものの、排他的経済水域を設定することはできないとしています。2009年には韓国も同調をしています。
このような主張を受けて日本政府は沖ノ鳥島周辺の主権を強化するために、大陸棚延長を申請し、2012年には認められます。

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