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【地理】富士山頂の県境はどうなっている?

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学習Q&A 地理
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概要

富士山頂は何県でしょうか?この質問に正確に応えられる人は意外と少ないかもしれません。地図で見ると、富士山は静岡県と山梨県にまたがっていることが分かります。それで、静岡県か?山梨県か?と答えが分かれるところですが、正解はどうなのでしょうか?

実は富士山頂付近は県境が法的には定められていません。具体的にいうと、富士山の八合目以上は静岡県と山梨県のどちらにも属さない境界未定地域となっています。

富士山頂以外にも境界未定地域はありますか?

全国に複数個所あります。以下のような例があります。
・宮城県と山形県【蔵王山】
・埼玉県三郷市と東京都葛飾区【水元公園】
・千葉県市川市と東京都江戸川区【江戸川】
・滋賀県米原市と岐阜県関ケ原町【関ヶ原】
・岡山県玉野市と香川県直島町【塩飽諸島・備讃諸島】
・熊本県小国町と大分県九重町【阿蘇】 など

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県境をめぐる歴史

富士山頂の境界に関しては歴史が古く、江戸時代から議論の対象となっていました。江戸時代の1814年(文化十一年)に成立した「甲斐国志かいこくし」の中では、「八合目(約3,100m)より頂上に至りては、両国の境なし」と記述されていて、当時から境界がない場所だったことが分かります。

甲斐国志 … 江戸時代に編纂された山梨県の地誌です。

明治維新で廃藩置県が行われた後も変化はありませんでした。

1869年(明治二年)に駿府府中藩に静岡県という名称が付けられて、1876年(明治九年)に、浜松県・足柄県が統合されて現在の静岡県の形になりました。また、1871年(明治四年)に旧甲斐国かいのくにだった地域が山梨県という名称に改められました。こうして、明治初期には現在のように富士山は静岡県と山梨県にまたがるようになりました。

明治時代,、国によって富士山での境界を調査されましたが、静岡・山梨県の両県の主張が対立します。1897年(明治三十年)には、宮内省くないしょうが境界調査を実施しましたが、両県が異議を唱えました。

1905年(明治三十八年)、静岡県が「八合目境界 (内容は不明)」となるものを主張します。数年後、今度は、山梨県側の福地ふくち村(現在の富士吉田市の一部)や鳴沢なるさわ村が山頂に境界を設けることを要求し、お互いの主張は平行線をたどります。

1951年(昭和二十六年)、これまでの主張し合ってきた流れに変化が生じます。当時の両県の知事同士での会談が行われ、境界の件については争わないことで一致しました。

2013年(平成二十五年)には富士山がユネスコ世界遺産に登録されます。これを機に翌年には、静岡県・川勝知事と山梨県・横内知事の間で、県境を定めずに富士山の保全・管理のために互いに協力していくことが確認されました。

結局、現在でもこの問題についての明確な結論は出ていませんが、県境はあえて決めずに共に富士山を守っていくという姿勢で固まっています。

国土地理院の地図でも「境界未定」として扱われています。

浅間神社に関する動き

富士山本宮浅間大社ふじさんほんぐうせんげんたいしゃはどのような神社ですか?

静岡県富士宮市にある神社です。名称は富士山の別名「浅間山せんげんさん」に由来しています。富士山の噴火を鎮めるために富士山を神として祀ったものです。全国にある浅間神社の総本宮とされていて、主に富士山に対する信仰が行われています。

本宮は富士山南麓の富士宮市街にありますが、奥宮おくみやは富士山頂付近にあります。さらに山頂付近には末社まっしゃとして久須志くすし神社(「東北奥宮」)もあります。

1982年(昭和五十七年)、正式名称が「富士山本宮浅間神社」から「富士山本宮浅間大社」と変更されました。

※奥宮 … 本宮より離れた、ご神体の山頂にある奥の社殿のことです。
※末社 … 神社に付属する小さな神社のことです。

社寺等に無償で貸し付けてある国有財産の処分に関する法律 … 明治初期、全国の寺社領は国有地とするために没収されました。この理由として、廃藩置県によって領主の権力が消滅したために寺社領の法的根拠がなくなったことと、大名の所領を国有地としたことによって寺社領も国有地にすることが道理にかなっていると考えられたためです。
このように戦前から社寺に無償で貸し付けられていた国有地について、戦後処理の一環として、一定の要件を満たす場合は社寺に譲与するか、時価の半額で売り払うことができるようにするための特別な法律がつくられました。

1948年(昭和二十三年)に富士山本宮浅間大社は、法律(「社寺等に無償で貸し付けてある国有財産の処分に関する法律」)に基づいて、富士山八合目以上の土地を譲るように当時の大蔵省に申請しました。

しかし、この申請に対し、「富士山頂に関しては、公益上国有地とすべきで、神社には社殿の敷地のみを譲与」するとの処分を下したために、これに納得できない浅間神社側が訴訟に動きます。

1957年(昭和三十二年)、浅間神社は東海財務局長(実質的には国)を相手取り名古屋地方裁判所に提訴し、1962年(昭和三十七年)に訴えが認められました。その後、国は控訴しますが、1967年(昭和四十二年)の高等裁判所判決でも神社側の訴えが認められます。

1974年(昭和四十九年)に最高裁判所は上告を棄却し、富士山頂の約385万m3の土地の所有権が富士山本宮浅間大社にあることを認める判決を出しました。

この判決を根拠として実際に国からの譲与が行われたのは、2004年(平成十六年)まで待たなければなりませんでした。譲与とされていますが、明治以降の歴史を考えると、長い時間を経て返還されたと考えることもできます。

山頂付近にある、奥宮、久須志神社、郵便局、気象観測所などは、便宜上は静岡県が住所となっています。

まとめると以下のようになります。

富士山山頂付近つまり八合目以上については、山梨県・静岡県のどちらにも属していない境界未定地域ですが、富士山本宮浅間大社の私有地(境内)として認められています。

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