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【歴史】租・庸・調・雑徭・兵役とは?

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学習Q&A 歴史
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概要

律令国家では中国の唐にならって、税制が整備されました。この記事では、物納税である「租・庸・調」や労働税である「雑徭・兵役」などについて解説します。

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導入された背景

情勢が不安定だった朝鮮半島で、663年に白村江はくそんこうの戦いが勃発しました。唐・高句麗の連合軍と日本・百済の連合軍が戦いましたが、日本・百済側は大敗しました。

この結果、日本は朝鮮半島より撤退し、今度は日本が唐や新羅から攻められる可能性も出てきました。また国内でも、蝦夷えみし(現在の東北地方)などの中央政府の影響力が届きにくい地域に対する政策のために、軍を組織する必要がありました。まさに内憂外患の状況でした。

このように、国内・国外のための軍事費・防衛費を賄うために、税金を広く徴収することで、財政基盤を安定化させる必要がありました。

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物納

律令制では税を負担する男子を以下のように区分しました。

  • 正 丁せい てい … 21歳以上60歳以下の男子
  • 次 丁じ  てい … 61歳以上65歳以下の男子・残疾ざんしつと呼ばれる軽度障害者(老丁ろうていとも呼びます)
  • 中 男ちゅう なん … 17歳以上20歳以下の男子(小丁もしょうてい 呼びます)

オレンジ色の枠は、地方政府(国衙こくが)に関係する制度です。

紫色の枠は、中央政府に関係する制度です。

男女ともに課されました。1段(約1,200m2)の口分田くぶんでんにつき2そく2の稲を納めました。これは全収穫量の約3%~5%にあたります。9月~11月に各地の国衙に納入されましたが、災害用の備蓄米を除いた分が、国衙の主要財源となりました。さらに一部の米は翌年1月以降、都へ運ばれました。これを年料舂米とねんりょうしょうまい いいます。

戸ごとに一定程度の減収があった場合は全体免除されました。またそこまでの減収がなくても、被害に応じた減免がありました。しかし、当時の農業技術では安定した収穫量を確保することは困難だったため、結果として免除・減免は常態化し、財源は不安定化していきます。このため後述の出挙すいこが主要財源になっていきました。

束・ … 1は片手でまとめて握れるだけの稲穂(穎稲えいとう)の量です。さらに10で1束分になります。

口分田班田収授法にはんでんしゅうじゅのほうよって人民に与えられた土地のことです。6歳以上の男子には2段、女子にはその3分の2、奴婢ぬひ(奴隷身分)には3分の1が与えられ、死後には国に返納することになっていました。

よう

男子のみに課されました。都まで行って10日間の労役(歳役さいえき)をするかわりに、布(庸布)・米(庸米)などを納めました。運脚によって都に8月~12月に運ばれました。ただし九州は太宰府に運ばれました。

正丁、次丁、中男で負担内容が異なりました。
・正 丁 … 布2じょう6しゃく
・次 丁 … 正丁の2分の1
・中 男 … 無し


※京・畿内・飛騨では適用されませんでした。

… 都のことです。この頃の都の場所は、現在の京都府・奈良県・大阪府周辺で、次々と短期間で移り変わっていました。
畿内きない … 天皇を含む都とその周辺の地域のことで、大和国(奈良県全域)・山城国(京都府南部)・河内国(大阪府東部)・和泉国(大阪府南西部)・摂津国(大阪府北中部および兵庫県神戸市東部)が含まれます。
飛騨ひだ… 現在の岐阜県北部

丈・尺 … 1尺で約30cm(推定)になります。10尺で1丈になります。

調 ちょう

男子のみに課されました。繊維製品または地方特産物などを納めました。運脚によって都に運ばれました。ただし九州は太宰府に運ばれました。

・正 調 … 繊維製品には、絹を納める調絹と ちょうきぬ 布を納める調布ちょうふがありました。
・調雑物 … 鉄産品(鉄・鍬など)・水産物(塩・海藻・魚介など)→ 地方特産物
・調副物 … 染料(紅など)・手工業製品


正丁、次丁、中男で負担内容が異なりました。
・正 丁 … 絹8尺5寸・糸8両・堅魚(干したカツオ)35きん
・次 丁 … 正丁の2分の1
・中 男 … 正丁の4分の1


※京・畿内では軽減され、飛騨では適用されませんでした。

… 1斤は約600gの相当します。

なぜ飛騨は調や庸が免除されましたか?

飛騨だけは調や庸が免除される特例が適用されていましたが、そのかわりに、匠丁をしょうてい 里ごとに10人を1年交替で出さなければいけませんでした。匠丁とは、宮殿や寺社などの造営や修理に従事するための動員された技術者のことです。飛騨は古代から豊富な森林資源に恵まれ、熟練した木材を加工する職人が育っていました。

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労役・兵役

歳役さいえき

男子のみに課されました。都で造営事業に従事しました。政府が必要とする場合には、さらに30日間を限度として使役することが認められていました。これを留役と りゅうえき いいます。食料は自前で用意しなければなりませんでした。実務に就かない場合はそのかわりに庸を納めました。

正丁、次丁、中男で負担内容が異なりました。
・正 丁 … 年10日間
・次 丁 … 年5日間
・中 男 … 無し

雑徭ぞうよう

男子のみに課されました。国司のもとで土木工事や国衙の雑用を行いました。

正丁、次丁、中男で負担内容が異なりました。
・正 丁 … 年60日間が上限
・次 丁 … 正丁の2分の1
・中 男 … 正丁の4分の1

兵役へいえき

男子のみに課されました。正丁のおよそ3人~4人に1人の割合で軍団に徴兵されました。さらにその中から衛士や防人が選ばれました。

軍 団ぐん だん … 各地で軍事訓練(10日間)
衛 士え じ … 都の警備(1年間)
防 人さき もり … 北九州の警備(3年間)


正丁のみで、次丁、少丁には負担がありませんでした。

※通常の軍団は庸・雑徭が免除されました。
※衛士と防人は庸・調・雑徭が免除されました。

防人は大変厳しい任務でした。遠い北九州まで自力で移動する必要があり、任務地でも食糧や部武器は自前で用意することになっていました。万葉集には防人の歌が多く収められていて、その厳しさを窺い知ることができます。

例)唐衣 裾に取りつき 泣く子らを 置きてそ来ぬや 母なしにして
【衣の裾にすがって泣きつく子どもたちを、防人に出るため置いてきてしまった。子どもたちには母親もいないのに。】

仕丁しちょう

男子のみに課されました。1里(50戸単位)ごとに2名の正丁を3年間徴収されました。彼らは都の各官庁などに配置されて、造営や雑用などを行いました。

正丁のみで、次丁、少丁には負担がありませんでした。

運脚 うんきゃく 

庸・調は本来負担した人が都まで運ぶことになっていました。しかし実際にはすべての人が上京するわけではなく、各村からの代表者が運脚となり、都へ徒歩で運搬しました。他の人々は、それに対して費用や食料を負担しました。

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その他

出挙すいこ

正確には「公出挙くすいこ」といいます。春に種稲などを農民に貸し付けて、秋の収穫時に利息付で返済してもらう制度でした。当初は貧農を救済することが目的でしたが、次第に国衙が高利息で強制的に貸し付けるようになりました。利息は五割の利息を付けて返済させたときもありました。その理由として、租が地方財政にとって安定した財源とならなかったことで、それを補うために、出挙が重要財源となったことが一因といわれています。また、公出挙に対して、寺社などの私的機関が行う私出挙しすいこもありました。

義倉ぎそう

飢饉や災害などのためにあわなどの穀類を備えておく貯蓄制度です。あらゆる階層の人々の資産に応じて9等級に分類され、その等級ごとに粟を納入しました。粟のかわりに米・大麦・小麦・大豆・小豆などを納めることもありました。等級にも入らない極貧の戸もありました。

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重い税制に対して

課税や労役は軽いものではなく、重い負担であったために、それらからを逃れようとする者たちがいました。流浪や逃亡した者の中には、有力者の寺社や荘園に住むなどして生活する者もいました。それらの生活も決して楽なものではありませんでしたが、負担を背負いながらの正規の生活よりはまだましな環境でした。

偽籍ぎせき

課税・労役を逃れるために、戸籍の年齢や性別などを偽ることです。

浮浪ふろう

正当な理由もなく、戸籍が登録されている土地から離れているが、課税・労役は果たしている者のことです。

逃亡とうぼう

正当な理由もなく、戸籍が登録されている土地から離れ、課税・労役も果たしていない者のことです。

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