概要
一人っ子政策とは、かつて中華人民共和国で導入されていた産児制限政策のことで、1979年から2014年まで実施されました。
中国の人口政策のことは「計画育成(出産)政策」と呼ばれ、「中華人民共和国人口与計画生育法」にまとめられていますが、その中に「一人っ子政策」という表現が出てきます。
この記事で出てくる「共産党」とは「中国共産党」のことを指しています。また「政府」とは「中国政府」のことを指しています。
導入の経緯
1949年に世界最大の共産主義国家である中華人民共和国が建国されます。「建国の父」である毛沢東は、「大いなる人口は大いなる生産力」であるとし、人口を増やすことが国家の繁栄に繋がると考え、子どもを産むことが奨励されます。それによって急速に人口が増加することになります。
毛沢東 … 1921年に創立された中国共産党創立メンバーの一人で、第二次世界大戦後に党の最高権力者として、1949年に中華人民共和国の建国を宣言しました。
しかし1953年の国勢調査で、予想以上の人口増加がしていたことから、共産党内でも人口抑制に関する議論が起こります。人口が増加すると、国家として人々を支えるための食糧が不足する懸念があります。このために政府は政策転換を余儀なくされ、計画出産が奨励されていきますが、あまり浸透しませんでした。
1962年になると、人口問題がいよいよ深刻になるにつれ、計画出産のための議論や政策が本格化していきます。これは主に都市部を中心に行われた限定的なものでしたが、これも文化大革命によって中断してしまいます。
文化大革命 … 1966年から1976年まで続いた毛沢東主導による大規模な政治運動です。毛自身の権力闘争のために行われた側面もあり、多くの人々が粛清されたり処刑されたりしました。
1970年代に入って、文化大革命の混乱が落ち着いてくると、政府は「晩・稀・少」というスローガンを掲げ、計画政策を全面に押し出します。これらには「晩(晩婚)」「稀(出産間隔を数年間に延長する)」「少(少子化)」という意味がありました。今回の政策は都市部に限らずに農村部まで広げた全国的なものとなりました。
これにより、都市部で最大二人、農村部では最大三人の子どもを持つことを奨励されました。後に一人っ子政策が実行に移される前に、すでにこれらのスローガンが功を奏し、出生率は低下していました。
それでも1977年当時の国民一人当たりの食糧は、建国時の水準しかなく、食料生産の増加が、人口増加に全く追い付いていないことが指摘されていました。このままでは国の発展が阻害されると考えた政府は、より厳密な人口管理の必要性を認識するようになりました。
1979年、政府で一人っ子政策が国策として提案されます。人口急増による食料不足を回避する手段として導入されることになりました。この提案は、「改革開放」を進めていた当時の最高実力者である鄧小平によって支持されます。
鄧小平 … 毛沢東・華国鋒に続いて中国の最高実力者になりました。文化大革命時は党の主要ポストからの失脚も経験しましたが、革命後は最高実力者として手腕を発揮します。「改革開放路線」のもと、社会主義体制を維持しながら市場経済を積極的に導入し、経済発展の礎を据えました。
どのような政策だったのか?
第一子をもうけた夫婦が第二子を産まないことを宣言することによって、証明書を受け取ることができました。このような政策に協力的な夫婦には、さまざまな優遇プランがありました。
次のような優遇を受けました。
- 奨励金を子どもが14歳になるまで受領できる
- 託児所への優先入学・学費免除
- 学校への優先入学・学費免除
- 医療費の支給される
- 就職が優先的に紹介される
- 都市部での住宅の優先的配分 / 農村での土地の優先的配分
- 年金の加算と割増がある
その一方で、宣言しなかった夫婦には、以下のようなさまざまな厳しい制裁がありました。
次のような制裁を受けました。
- 超過出産費の徴収される
- 夫婦の賃金がカットされる
- 託児費や学費などが徴収される
- 医療費や出産費を自身で負担する
- 仕事の昇給や昇進の停止がある
しかし第二子が許可される例外もたくさんありました。
都市部の住民などに対して
- 第一子が非遺伝性の身体障害者で働けない場合
- 夫婦双方が一人っ子の場合 → 後に夫婦どちらかでもOKになりました。
- 結婚後5年以上不妊で、養子をもらって以降妊娠した場合
- 夫婦双方が帰国して、定住している華僑
その他にも農村部や少数民族に対しても第二子適用のためも例外がありました。
1984年、政策に若干の修正が加えられます。農村部で第一子が女児であった場合、4年ほどの間隔を空ければ、第二子を出産できるというものでした(第一子が男児の場合は認められませんでした)。また少数民族においては、二人や三人までの出産が許可されました。このように一人っ子政策にも修正が加えられ、やがて浸透していきました。
このような変更の背景として、強制的な中絶や女児の殺害などの非人道的な行為に対して、国際的に批判をかわすためでもありました。
政策下で双子が生まれた場合は、どのように扱われましたか?
一度の妊娠で生まれた双子や三つ子などは「一回の出産」と数えられたために、基本的に合法と見なされました。そのために罰金などの罰則は課されませんでした。
政策の撤廃
2015年10月29日に一人っ子政策の撤廃が発表されます。こうして2016年1月からは、すべての夫婦が、二人目の子どもを合法的に持つことが認められるようになりました。これをいわゆる「二人っ子政策」といいます。
こうして伝統的に続いてきた人口抑制政策は、大きな転換点を迎えることになりました。しかしこの政策によっても出生率の改善には至らず、効果はあまりありませんでした。
さらなる政策の変更
2021年5月には三人目の出産を認める方針が示されました。いわゆる「三人っ子政策」です(正式な名称があるわけではありません)。
しかし、この頃にはすでに一人っ子政策の浸透により、社会では、多くの兄弟を持つことの意識はなくなっていました。結果として、この政策変更によっても大きな効果はありませんでした。
二人から三人に緩和されたわけですが、どうして無制限にならなかったのですか?
中国には大部分(約90%)を占める漢民族の他に、ウイグル族などの50以上の少数民族も暮らしています。無制限にしてしまうと、少数民族の家族が多くの子どもを持って、漢民族とのバランスが崩れてしまうことを危惧したのかもしれません。共産党としては、何としても漢民族優位の国家を維持したいのでしょう。
政策が社会にどのような影響を与えたのか?
このような極端な人口政策は、社会にさまざまな問題や歪みを引き起こしました。そして現在でも中国社会に大きな影を落としています。
人格形成への影響
一人っ子政策中に生まれた子どもたちは、家族唯一の子どもとして、両親や祖父母からの関心を独り占めしてきました。そのため甘やかされすぎてしまう傾向があり、人格育成にさまざまな影響が出てしまいます。
両親や祖父母からの6つのポケット(自分のためにお金を出してくれる人)があるので、物質的に豊富なものに囲まれて育ってきたために、それが当たり前の環境と考える傾向があります。そのような彼らのことを「小皇帝」と呼び、家族の中で小さな王様のように、わがままを奮っていることが表現されました。
家族の中で発言権が強くなり、何でも意見が通ることがあるために、忍耐力が培われないという傾向もあります。このようにわがままをいって、まわりを困らせて、手に負えない子どものことを「熊孩子(発音:ションハイズ)」ともいいます。
一方、教育に関しては、家族からの過大な期待の中、過酷な受験戦争を経験して、高等教育を受けて、良い就職をすることが期待され、超学歴社会の中で、幼い頃からストレスにも晒さらされてきました。
隠し子の問題
一人っ子政策に違反して子どもが生まれた場合、罰則などから逃れるために戸籍に登録せずに、その存在を隠すことが問題となってきました。これらの子どもたちのことを「黒孩子(発音:ヘイハイズ)」と呼びます。「隠れた子ども」という意味があります。
戸籍が無い彼らは、義務教育を受けることができない、医療サービスが受けることができない、正規の就職が難しいなどの問題を抱えてきました。
1990年の国勢調査によると、約1,500万人の「黒孩子」が存在していたといわれていますが、正確な実態は分かっていません。一人っ子政策はすでに終了していますが、黒孩子の問題は解消されていません。
男女比の問題
子どもが生まれるさいに、跡取りとして男児が好んで選ばれるようになり、性比のアンバランスが生じました。女児の堕胎が行われることによって、男児の方が多くなる傾向がありました。正常な値であれは、男児:女児で【105:100】となるところ、中国では2010年以前だと、男児:女児で【120:100】となる事態となりました。
これにより数千万人の男性が女性より多い男性が余る社会になり、適齢期になっても結婚できない男性が大量に出てしまいました。
親の介護の問題
一人っ子政策の下に生まれた世代は、一人っ子が多いために、一人っ子同士が結婚した場合に、それぞれの親の四人分の老後を介護する必要が生じ、そのことが負担となることが懸念されています。
子どもがいなくなる問題
たった一人の子どもが病気や事故などで亡くなることにより、跡取りや老後の面倒を見てくれる存在を失ってしまうという問題が起こっています。このような家庭を「失独家庭」などと呼んでいます。
彼らは一人っ子政策を守ったのにも関わらず、政策の犠牲になって不利益を被ったとして、抗議運動などを起こしたり裁判所に訴えたりしています。しかしこれらの動きに対しては、政府は封じ込める対応を取っています。
人口減少の問題
政策による効果も確かにありました。1987年に約2,500万人を超えていた出生数は、2007年には約1,600万人まで減少しました。出生数が減りながらも、医療現場の充実や医学の進歩によって寿命も伸びていきました。そうすると、日本と同様に少子高齢化が予想されました。
一人っ子政策をはじめ、人口政策に手を付けていなかったらどうなっていたでしょうか?
人口政策が無かったら、今より数億人多い「17億~18億人に達していた(中国国家衛生計画委員会の発表)」ともいわれています。
実際、2013年には生産年齢人口はピークを迎え、以降は減少に転じています。これは経済成長を支える労働力が先細りしていくことを意味しています。
その結果、国が先進国のレベルに到達して十分に豊かになる前に、急速な高齢化社会に突入する「未富先老」が現実になりつつあります。
2016年の一人っ子政策の大幅な緩和によって、瞬間的に合計特殊出生率は1.29まで上昇しましたが、以降は低下傾向にあります。2022年には1.09となり、人口1億人を超える主要国の中では最低の水準になっています。
2021年には、65歳以上の比率は14%を超えて、国際水準から見た高齢社会に突入しました。また出生数も約1,000万人割れが直前となり、建国以来最小を更新し続ける深刻な事態にあります。
合計特殊出生率 … 15歳~49歳の女性の出生率を合計し、その年の水準が一生続くと仮定した場合、一人の女性が生む子どもの数。
主要国の合計特殊出生率【2023年】
| 国 | 州 | 合計特殊出生率 |
|---|---|---|
| 中国 | アジア | 1.00 |
| 韓国 | アジア | 0.72 |
| 日本 | アジア | 1.20 |
| アメリカ | 北アメリカ | 1.62 |
| フランス | ヨーロッパ | 1.66 |
以上で考えたような要因が重なり、2022年に61年ぶりの減少に転じました。以降、連続で人口が減少しています。これにより死亡数が出生数を上回る状態が定着しつつあると見られています。


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