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【雑学】4月28日 主権回復の日とは

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雑学Q&A
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概要

4月28日は「主権回復の日」です。別称「主権回復記念日」と呼ばれます。1952年(昭和二十七年)4月28日にサンフランシスコ平和条約が発効し、それによって日本が連合国の占領を終えて主権が回復し、国際社会の中で独立した国家として再スタートをした日です。

しかし、沖縄などに関しては、引き続きアメリカの統治下に置かれました。本土復帰を果たすのは将来に持ち越されました。

この日は、記念日や国民の祝日ではありません。2011年(平成二十三年)には、祝日にするための祝日法改正案が国会に提出されましたが、成立しませんでした。

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GHQによる占領が始まる

1945年(昭和二十年)8月14日、日本の鈴木貫太郎内閣が「ポツダム宣言」の受諾を決定します。この宣言の中では日本を占領する組織は「連合国ノ占領軍」と表記されていました。

連合国最高司令官に属する組織として、連合国最高司令官総司令部があり、日本では英語の頭文字をとって「GHQ」の略称が定着しました。

9月2日、東京湾上の米国海軍の戦艦ミズーリ号の甲板上で降伏文書の調印式が行われました。日本側は重光葵しげみつまもる外務大臣が全権として天皇と日本政府を代表して署名しました。

これによってポツダム宣言を受け入れることが決定しました。また、降伏文書の中では、日本政府は連合国最高司令官(SCAP)の指示に従うべきであることが記されていました。

降伏文書の中で、GHQが関連する内容は以下の通りでした。

  • 日本軍と国民に対し、敵対行為を中止すること、船舶・航空機、軍用非軍用を問わず財産の毀損を防ぐこと、及び連合国軍最高司令官又はその指示に基づき日本国政府の諸機関が下す要求・命令に従うことを命じること。
  • 公務員と陸海軍の職員に対し、本降伏実施のために連合国軍最高司令官が発する布告・命令・指示に従うこと及び引続き各自の地位に留まり非戦闘的任務を行うことを命じること。
  • 天皇及び日本国政府の国家統治の権限は、本降伏条項を実施するために、適当と認める措置を執る連合国軍最高司令官の制限の下に置かれることになる。

9月2日をもって、GHQによる占領が始まりました。

連合国側は、マッカーサー連合国最高司令官が4連合国(アメリカ、イギリス、ソ連、中国)を代表し、かつ日本と戦争状態にあるその他の連合国のために署名しました。またこれとは別に、アメリカ、中国、イギリス、ソ連、オーストラリア、カナダ、フランス、オランダ、ニュージーランドの順で各国代表者が署名しました。

GHQはポツダム宣言の執行するために、これ以降占領政策が行われていきます。

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主権回復へ

1951年(昭和二十六年)9月8日、サンフランシスコ講和会議でサンフランシスコ平和条約が締結されました。この条約の主な内容は、「日本と連合国との戦争状態の終了」と「日本国民の主権の回復」でした。

吉田茂首相を主席全権とする日本側が調印し、これに連合国のうち48ヶ国が批准ひじゅんして、日本の主権回復を認められました。

吉田茂 … 戦中は外交官として実績を重ね、終戦後は首相(第45代および第48~51代の内閣総理大臣)として活躍しました。

批准 … 国が条約などの国際的な約束について、国内の正式な手続きを経て最終的に同意し、その条約の当事国となることです。(その条約として効力を発揮させること)

この条約により日本と多くの連合国との間で、やっと戦争状態は解消されました。しかし、中華民国・中華人民共和国、ソ連、インド、ビルマ(現在のミャンマー)などは、この条約に参加しませんでした。

交戦国だった主要な国が加わらなかったので、片面かためん講和といわれました。

この条約の中で連合国日本占領軍(GHQ)に関しては、この条約効力発生後、90日以内に日本から撤退することが盛り込まれました。

しかし、日本を一方の当事者とする別途二国間協定または多国間協定により駐留・駐屯する場合はこの限りではありませんでした。これに従い日米安全保障条約によって、アメリカ軍は日本に駐留を続けることになります。

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平和条約の発効

1952年(昭和二十七年)4月28日、前年に結ばれた平和条約が発効します。これにより日本の主権回復が実現します。こうして、1945年9月2日から約6年半にわたって続いていたGHQによる占領は終わりを迎えます。

これによって日本はいわゆる資本主義陣営つまり西側諸国の一員として国際社会に復帰しました。しかし、ソ連や中華人民共和国との間にはしこりが残りました。

これと同時にGHQは活動を終了し、解体されました。GHQの象徴であった総司令部があった東京・千代田区の旧第一生命館(現在のDNタワー21)も7月には返還されました。

撤退時のGHQの最高司令官は、マッカーサーの後任となっていたマシュー・リッジウェイでした。初代最高司令官マッカーサーは朝鮮戦争の扱い方についてトルーマン大統領と対立し、1950年に解任されていました。

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沖縄では

条約が発効したものの、沖縄は引き続きアメリカの占領統治下に置かれることになりました。そのためにこの日は「屈辱の日」と呼ばれています。

サンフランシスコ平和条約の第三条では次のように規定されていました。

  • 日本国は、北緯二十九度以南の南西諸島(琉球諸島及び大東諸島を含む。)孀婦岩の南の南方諸島(小笠原群島、西之島及び火山列島を含む。)並びに沖の鳥島及び南鳥島を合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下におくこととする国際連合に対する合衆国のいかなる提案にも同意する。このような提案が行われ且つ可決されるまで、合衆国は、領水を含むこれらの諸島の領域及び住民に対して、行政、立法及び司法上の権力の全部及び一部を行使する権利を有するものとする。

この条文では、沖縄を含む上記の島々は、返還対象になりませんでした。沖縄が返還されるのは1972年(昭和四十七年)まで待たなければなりませんでした。

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